俳句フォトエッセイ2024.05.21薄暑光自由が丘に停まりをり小山正見今、大相撲の夏場所が行われているが、僕が大相撲を最初にテレビで見たのは自由が丘だった。駅前に街頭テレビがあり、黒山の人だかりだった。今は当然スローモーションだが、当時は分解写真というのがあり、カクカクと力士の動きを映し出していた。もちろんモノクロである。父が僕に見せるために連れてきたのだろう。僕の中で自由が丘は、父・小山正孝(詩人・1916年-2002年)の記憶と結びついている。一つは僕が「ヴェニス」と呼んでいる領域である。駅から歩いて5、6分であろうか。その一画だけ、イタリア風の瀟酒な建物が並び、「運河」が掘られ、ゴンドラが浮かんでいる。父が散歩の途中によく立ち寄った場所だった。恐らくバブルの最中に設計、建築がされたものだと思う。建てられてから30年以上経っているのは確実だが、今も姿は変わっていない。最近は中国からの旅行者などが記念撮影をする姿をよく見かける。父に逢いたくなると、自由が丘で途中下車し「ヴェニス」に僕は寄る。この場所を題材にした父の詩がある。最後の詩集『十二月感泣集』に収録された「人」という詩である。正孝はこの詩集で丸山薫賞を受賞している。 人に 小山正孝またここに来てゐますそれぞれが色変りの煉瓦八棟の建築に囲まれた一画ゴンドラ一艘を浮べた人工の川があるベネチア風の橋もかかつてゐる「僕はシェイクスピアの世界ではなく紅楼夢の世界として空想をひろげたい」「どうしてでせう」「一棟ごとに少女を住まはせてみようといふのかな」あなたは眉をひそめてかすかに不快を示したあなたをその一人にしたいなどとは言はなかったのにいまも 誰をそこへ住まはせようか過去何十年かのあひだにめぐり逢つた女の人を作者 曹雪芹になつたつもりであれこれと思ひ出しては心のままに出し入れしてゐるのです一瞬のあなたの表情の変化もまんざらではなかつたのでどうしようかと迷つてゐるのです新建材の煉瓦で建てられた八棟に囲まれた一画また僕はここに来てゐるのですこの詩を書いた時、正孝今の自分と同じ歳か、もしかしたら更に歳上だったかもしれない。そう考えると、正孝とは相当に奇妙な人だったのだろう。自由が丘と父の思い出は更にあるが、一旦ここで筆を置くことにする。
今、大相撲の夏場所が行われているが、僕が大相撲を最初にテレビで見たのは自由が丘だった。
駅前に街頭テレビがあり、黒山の人だかりだった。今は当然スローモーションだが、当時は分解写真というのがあり、カクカクと力士の動きを映し出していた。
もちろんモノクロである。
父が僕に見せるために連れてきたのだろう。
僕の中で自由が丘は、父・小山正孝(詩人・1916年-2002年)の記憶と結びついている。
一つは僕が「ヴェニス」と呼んでいる領域である。駅から歩いて5、6分であろうか。その一画だけ、イタリア風の瀟酒な建物が並び、「運河」が掘られ、ゴンドラが浮かんでいる。
父が散歩の途中によく立ち寄った場所だった。
恐らくバブルの最中に設計、建築がされたものだと思う。建てられてから30年以上経っているのは確実だが、今も姿は変わっていない。最近は中国からの旅行者などが記念撮影をする姿をよく見かける。
父に逢いたくなると、自由が丘で途中下車し「ヴェニス」に僕は寄る。
この場所を題材にした父の詩がある。
最後の詩集『十二月感泣集』に収録された「人」という詩である。正孝はこの詩集で丸山薫賞を受賞している。
人に 小山正孝
またここに来てゐます
それぞれが色変りの煉瓦
八棟の建築に囲まれた一画
ゴンドラ一艘を浮べた人工の川がある
ベネチア風の橋もかかつてゐる
「僕はシェイクスピアの世界ではなく
紅楼夢の世界として空想をひろげたい」
「どうしてでせう」
「一棟ごとに少女を住まはせてみようといふのかな」
あなたは眉をひそめてかすかに不快を示した
あなたをその一人にしたいなどとは言はなかったのに
いまも 誰をそこへ住まはせようか
過去何十年かのあひだにめぐり逢つた女の人を
作者 曹雪芹になつたつもりで
あれこれと思ひ出しては心のままに出し入れしてゐるのです
一瞬のあなたの表情の変化も
まんざらではなかつたので
どうしようかと迷つてゐるのです
新建材の煉瓦で建てられた八棟に囲まれた一画
また僕はここに来てゐるのです
この詩を書いた時、正孝今の自分と同じ歳か、もしかしたら更に歳上だったかもしれない。
そう考えると、正孝とは相当に奇妙な人だったのだろう。
自由が丘と父の思い出は更にあるが、一旦ここで筆を置くことにする。