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猫の恋どうしたものか僕の恋

小山正見

実にユーモラスな俳句である。そして、何となく切実感もある。実は、第23回深川芭蕉小中学生俳句大会で区長賞を獲得した句なのだ。写真は、表彰式で作者が大久保区長から賞状を受け取っている場面である。
ぼくは、この大会に第2回目から関係している。
紆余曲折を経て今日に至っている。現在この大会は深川神明宮が支えてくれていると言っても過言ではない。その努力には頭が下がる。それにしても江東区内のほとんど全ての学校から27500を超える応募がある。考えてみれば、相当なものだ。
今年のぼくの役割は中学生の俳句の講評をすることだった。
改めて受賞句を読み直してみた。小学生の句を読み、もう一度中学生の俳句を読む。
明らかな違いがあった。
どの句にも生と死、そして「生きる」というテーマが垣間見えるのだ。
「猫の恋」の句。ぼくにも青春時代があったが(笑)、「恋」は「生の輝き」のようなものだ。
こんな句もあった。

汗とロジン混じった手からストレート

ロジンというのは、松脂のことだ。ピッチャーが滑り止めとして使う。
炎天下の試合も進み、山場に差し掛かったところだろう。勝負の一球が投げ込まれる。
ぼくは、ロジンをたっぷりつけるのだから、ここは変化球かなと思ったが、投げ込んだのは渾身のストレート。真っ向勝負なのだ。ここに青春と生き方の全てが表されている。
作者本人と話をした。彼は、実際に野球部のエースだった。

金魚死すきれいなうろこゆらめきて

「死」を扱った俳句だ。死が隠されているのが現代だ。しかし作者は、恐れず死を直視している。そして発見したのは「きれいなうろこ」のゆらめく様だ。金魚の「生」の美しさを賛美し哀悼している。
芭蕉大賞を獲得したのは、次の俳句だった。

うつむいてヒマワリ明日に種子残す

向日葵の枯れた姿は決して美しいものではない。その姿は一見お化けのようでもある。しかし、作者はその中から明日への希望を見つけていく。「死」は新しい「生」を産み出すのだ。
中学生の俳句の中に生と死を見つめ、生き方を探究する姿を見つけることができた。江東区の中学生は見事に成長していると思った