俳句フォトエッセイ2024.11.12爽やかやこの日この時この時間小山正見最近のスマホの写真機能はすごい。ひょいと一年前、2年前・・・のその日の写真が出てくるのだ。つらつらと眺めた。1年前には、薔薇の写真があった。俳句フォト歌留多にも収録されている「全身に秋の陽イエロージャイアンツ」である。一体、何処で写したか思い出せない。調べてみたら深大寺だった。俳句の吟行だった。僕にとって初めての深大寺体験だった。その日に食べた蕎麦の味が蘇ってきた。ある年は、俳句研修会だったり、江東区俳句部の定例会の写真だったりする。俳句関係の写真が多い。この十数年、ぼくの生活の中心に俳句があったと言うことだろう。一番古い写真は2011年だった。それが、この写真だ。左に立っている男性は田付賢一さんだ。当時、彼は現代俳句協会のジュニア研修部長だった。これは、都内の某小学校での出張俳句教室の場面である。ぼくも手伝いに行ったのだ。田付さんと知り合ったのは2007年だったと記憶している。八名川小学校に招き、授業してもらったこともある。一緒にジュニア俳句コンクールを運営したこともある。深川芭蕉小中学生俳句大会の選者にもなってもらった。人間的にもとても気さくでいい人だった。ある時期は3日を空けずに連絡を取り合ったこともある。最も信頼がおける同志だった。こども俳句に一番情熱を燃やした頃だ。数年後、彼はジュニア部長の職を退き、体制が変わった。現代俳句協会はその後、財政危機を理由に、ジュニア部を廃止し、ジュニア俳句大会も消滅した。僕らは激しく抗議したが、決定は覆らなかった。一緒に活動していた多くの仲間が現代俳句協会を離れた。残念な歴史の一コマである。今でも、この決定は間違っていたとぼくは思っている。こども俳句は未来を作るボランティアの社会貢献活動の一環だと考えるからだ。田付さんとはいつの間にか連絡が取れなくなった。僕だけでなく他の誰も連絡が取れないらしい。元気でいらっしゃることを願っている。
最近のスマホの写真機能はすごい。ひょいと一年前、2年前・・・のその日の写真が出てくるのだ。
つらつらと眺めた。
1年前には、薔薇の写真があった。俳句フォト歌留多にも収録されている「全身に秋の陽イエロージャイアンツ」である。
一体、何処で写したか思い出せない。調べてみたら深大寺だった。俳句の吟行だった。僕にとって初めての深大寺体験だった。その日に食べた蕎麦の味が蘇ってきた。
ある年は、俳句研修会だったり、江東区俳句部の定例会の写真だったりする。俳句関係の写真が多い。この十数年、ぼくの生活の中心に俳句があったと言うことだろう。
一番古い写真は2011年だった。それが、この写真だ。
左に立っている男性は田付賢一さんだ。当時、彼は現代俳句協会のジュニア研修部長だった。これは、都内の某小学校での出張俳句教室の場面である。ぼくも手伝いに行ったのだ。
田付さんと知り合ったのは2007年だったと記憶している。八名川小学校に招き、授業してもらったこともある。一緒にジュニア俳句コンクールを運営したこともある。
深川芭蕉小中学生俳句大会の選者にもなってもらった。
人間的にもとても気さくでいい人だった。ある時期は3日を空けずに連絡を取り合ったこともある。最も信頼がおける同志だった。
こども俳句に一番情熱を燃やした頃だ。
数年後、彼はジュニア部長の職を退き、体制が変わった。
現代俳句協会はその後、財政危機を理由に、ジュニア部を廃止し、ジュニア俳句大会も消滅した。
僕らは激しく抗議したが、決定は覆らなかった。一緒に活動していた多くの仲間が現代俳句協会を離れた。
残念な歴史の一コマである。今でも、この決定は間違っていたとぼくは思っている。こども俳句は未来を作るボランティアの社会貢献活動の一環だと考えるからだ。
田付さんとはいつの間にか連絡が取れなくなった。僕だけでなく他の誰も連絡が取れないらしい。
元気でいらっしゃることを願っている。