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炎天をご破算にして大夕立

小山正見

猛暑が続いている。これだけ猛暑が続けば、その反動として夕立があるのは、昔からだ。
それにしても、ニュースで見ると凄まじい。各地で洪水に近い状況が起きているようだ。
昔のように入道雲がにょきにょきと盛り上がり、ざっと一雨。雨が上がると虹が見えるというような牧歌的な夕立ではないようだ。
気候変動の影響に違いない。
どうもこの状況だと「夕立」というような優雅な言葉を使っていいのか、という気にもなってくる。
言葉は各民族の生活と深く結びついている。
例えば、牛に関する言葉。日本語では、「牛」しかないが、英語では、cowもoxもbolもある。牛肉に関しては、各部位が詳しく分かれているのは承知のことだ。魚に関しては、日本語は、詳しい。出世魚とされる鰤などは、ワカシ→ハマチ→ワラサ→ブリという具合だ。
雨は、英語ではほぼrainの一語だが、日本語には雨に関する言葉がとんでもなく多い。
思いつくままに挙げてみよう
五月雨、梅雨のことだ。さみだるというと雨の降り方まで想像できる。梅雨という言葉も美しい。
時雨、春雨、秋雨、霧雨、天気雨、通り雨、涙雨、花の雨、氷雨、緑雨・・・・
本棚を見たら、「雨のことば辞典」(講談社学術文庫)という本さえある。
狐の嫁入りという言葉もある。調べてみると「日が照っているのに、急に雨がばらつくこと。日照り雨。」とある。実に風雅だ。
また、御降り(おさがり)とは元旦に降る雨のことだ。
ぼくが生きている間は、これらの言葉は生命力をまだ保っているだろうが、百年後、二百年後、どのようになっていくのか。少し心配でもある。