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夕焼けの色の織りなす平和かな

小山正見

これから台風が来るとは思えないような美しい夕焼けだ。台風はかなり西に逸れたようだが、これからが油断ができない。
夕焼けが美しいと感じ始めたのは、俳句を始めてからだ。
それまでの自分の生活は、今で言うプラックだったのかもしれない。
朝は、今日何をするかで頭がいっぱいだし、陽があるうちに学校を出ることはほとんどなかった。夕焼けを見る機会などなかった。
これは、ぼくだけの話ではない。
ある学校の先生方の研修会で
「この学校の校門にはきれいな花が咲いていますね。何の花ですか?」
と聞いたことがある。実は、コスモスが咲き乱れていたのだ。
しかし、誰の手も上がらない。首を傾げているばかりだ。
何故こんなことが起きるのか。人間の目は見たいものしか見ないからである。
人間の目はスマホどころか初期の性能の悪いデジカメの程度の性能しかないらしい。
実際に見えている部分は視野の十分の一程度で後は脳が補正する仕組みになっていると物の本で読んだ。
校門のコスモスが見えないのは、先生方が職務に熱心だからに他ならない。コスモスは授業や教材研究や生活指導の足しにはなりはしない。
学校は「目標」社会だ。教育目標から始まって、週の目標、給食の目標まである。目標とは、いろいろな事項の中の一点を見つめよということである。逆に言えば、目標以外の部分は見なくても構わないということでもある。
コスモスが見えないことに何の不思議もない。
世の中がそういう仕組みになっているのだから、これはこれで仕方がないことだと思う。
しかし、人生や人間には仕事以外にも「生きていてよかった」と思うことがある。
その一つが美しい夕焼けに心奪われることだ。
ぼくは、俳句に出会って幸運だった、幸せだった。