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休暇明まずは俳句の研修会

小山正見

少し前まで、夏休みは8月いっぱいと決まっていた。しかし、最近は8月中に2学期が始まってしまう地域も多くなった。
すでに「休暇明」なのだ。「休暇明」は秋の季語とされている。
江東区のある学校に呼ばれて「俳句研修会」を行った。始まってすぐに研修会とは「お気の毒」とも思う
この学校での研修会は数年ぶりだ。知らぬ顔が多い。見知った顔でもどこであったのか、名前などはほとんど覚えていない。これは齢のせいかもしれない。
この研修会の目的は、俳句の良さと面白さを伝えることにある。
俳句は学校教育の教材として使い勝手が良い。
まず、俳句は短いということだ。
短いからどの子もできる。短い時間で取り組むことが可能だ。(うまく活かすには工夫が要るが)
それに事後処理が簡単で効果もあることが重要だ。
仮に作文と比較してみよう。それなりに時間はかかるが、子どもにとっては書けば書いただけの効果がある。しかし、なかなか書けない子もいる。卒業文集(たかだか八百字)全員分を書かせ切るには1ヶ月以上もかかったりする。
読んで誤字脱字を修正するだけでも教師の負担は軽くない。赤を入れて返してもそれほどの教育効果は期待できない。
ところが、俳句なら、クラス40人いても原稿用紙2枚分にすぎない。作品集を作っても手間がかからないし、教室掲示にも容易に応用できる。
正岡子規は「俳句は写生」と言ったが、写生とはよく見ることだ。よく見ることは全ての学習の基礎である。俳句の対象の多くは自然であるから、子どもたちに自然に目を向けるきっかけを与える。SDG’sにも繋がる。日本語の微妙を知る良い機会でもある。
いつも思い出す俳句がある。

トマトの葉さわればトマトのにおいする
赤だけど少しむらさきチューリップ

いずれも小学校中学年の児童の作品である。
以上のようなことを話すこともあるが、今回の研修会ではひたすら実作してもらった。
季語を変えながら次々に俳句を作ってもらった。どんどんついて来るのだからすごい。
学校の先生は、能力も高いし、思い切りも良いと思った。
研修の目標を達成することができたかどうかはハテナ?であるが、ぼく自身にとってこの研修会が楽しかったことだけは間違いがない。