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20年タイムスリップする夜涼

小山正見

津野さんに誘われて、久しぶりに森下の名店「三国屋」に行った。
写真の左の大きい顔の男が津野利行さんだ。
江東区立八名川小学校に在任した6年間、津野さんはPTAの役員として、学校を支えてくれた。5年間は副会長として、最後の1年は会長として。
津野さんが会長だった年は、「発見、感動、創造の俳句教育」の研究発表会をした年である。
それに呼応するように、津野さんは、自身の主宰するPTAの役員会を句会から始めた。校長だったぼくもびっくりだ。
その後、彼は俳句にはまり、非凡な才能を発揮し、わずかな時間に句集まで編んでしまった。
その津野さんと一緒にした最初の仕事がウィークエンドスクールの開校である。ウィークエンドスクールとは、週休2日制の受皿を作ろうという発想から生まれたものだ。同時に地域の方々の力を子どもの教育のために発揮していただきたいという思いもあった。
一緒に先行する学校の様子を見学に行った。
発足した八名川のウィークエンドスクールでは、墨絵講座が生まれ、よさこいソーランが人気となった。
その後、次々と講座が生まれ、瞬く間に江東区一のウィークエンドスクールに成長してしまった。これは全て、津野さんのマネージメントのおかげだった。
ぼく自身は「夏休み、子どもは家庭に帰さない」をスローガンに掲げた。
夏休みは子どもは家庭に帰し、家庭教育の機会にしてもらうが当時の常識だった。しかし、だ。共働きの家庭が多くなる中、こどもに一日中ゴロゴロされていたらたまったものではない。母親のストレスは溜まるばかりだ。そのうち親子ゲンカになるのは目に見えている。親に怒られて、こどもだっていい気はしない。
そんなものが家庭教育と言えるか!
接する時間が適当でゆとりがあるからこそ教育が成り立つのだ。少しでも学校で預かりたいと考えた。この発想が次年度の「げんきッズ」(放課後クラブ)の誘致に繋がった。
そんな記憶が津野さんの顔を見ていたら、次から次へと湧いてきて、楽しい時間だった。
津野さん!また機会があったら誘ってください。