俳句フォトエッセイ2025.03.08青年の四人揃ひて時おぼろ小山正見この四人は、高校時代の友人だ。この三十年くらい、毎年一回は会う。かつては上野だったが、今は銀座だ。左から二人目のMが絵を描いている。毎年この時期に銀座四丁目そばの大黒屋でデサント展というグループ展があり、そこで落ち合うのだ。S区で退職した美術の先生達の展覧会だが最高齢の方は90近い。作品は実に伸び伸びしており、感激した。例年は駅地下の「ライオン」が会場になるのだが、今年は近くのビルの上の静かな蕎麦屋だった。「卒業してから60年だなあ」律儀で、いい加減な後の三人をまとめてくれているSが言う。いつもは高校時代の思い出話となるのだが、今日は違った。「お墓、どうするんだ?」年を取ると言うのはこういうことなのだろう。しかし、この年になってもそれぞれに仕事を持ち、活動しているのだからお互い褒め合ってもよいかもしれない。高校時代に一番親しかったのはNだ。Nは生徒会長も務め、それでいて優しい男だった。よく議論し、意見を戦わせた。Sは教育ソフトの会社に務め、ぼくの勤務先の学校にもちょくちょく顔を出して助けてくれた。随分無理を聞いてもらった。彼がいなければ四人の付き合いは崩れていただろう。Mは授業に出ずにいつも美術室に籠っていた。ぼくは彼の絵が大好きだった。大天才に思えた。彼の後ろで飽きずにスケッチを眺めた。以前述べたが、八ヶ岳にもついていった。憧れていたのだろう。美大を卒業した彼は教員になった。絵もうまかったが人をまとめる才能も抜群なのだ。最後は僕が勤務していたらすぐそばの中学校の校長になった。そこでも他の人では絶対できない実践を展開した。今、その彼が元に戻って絵を描いている。デサント展には彼の絵が四点飾られていた。あの時の激しさはないが、静かで如何にも平和な絵だ。六十年の時が過ぎたのだと思った。
この四人は、高校時代の友人だ。この三十年くらい、毎年一回は会う。かつては上野だったが、今は銀座だ。
左から二人目のMが絵を描いている。毎年この時期に銀座四丁目そばの大黒屋でデサント展というグループ展があり、そこで落ち合うのだ。
S区で退職した美術の先生達の展覧会だが最高齢の方は90近い。作品は実に伸び伸びしており、感激した。
例年は駅地下の「ライオン」が会場になるのだが、今年は近くのビルの上の静かな蕎麦屋だった。
「卒業してから60年だなあ」
律儀で、いい加減な後の三人をまとめてくれているSが言う。
いつもは高校時代の思い出話となるのだが、今日は違った。
「お墓、どうするんだ?」
年を取ると言うのはこういうことなのだろう。
しかし、この年になってもそれぞれに仕事を持ち、活動しているのだからお互い褒め合ってもよいかもしれない。
高校時代に一番親しかったのはNだ。Nは生徒会長も務め、それでいて優しい男だった。よく議論し、意見を戦わせた。
Sは教育ソフトの会社に務め、ぼくの勤務先の学校にもちょくちょく顔を出して助けてくれた。随分無理を聞いてもらった。
彼がいなければ四人の付き合いは崩れていただろう。
Mは授業に出ずにいつも美術室に籠っていた。ぼくは彼の絵が大好きだった。大天才に思えた。彼の後ろで飽きずにスケッチを眺めた。以前述べたが、八ヶ岳にもついていった。憧れていたのだろう。
美大を卒業した彼は教員になった。絵もうまかったが人をまとめる才能も抜群なのだ。最後は僕が勤務していたらすぐそばの中学校の校長になった。そこでも他の人では絶対できない実践を展開した。
今、その彼が元に戻って絵を描いている。デサント展には彼の絵が四点飾られていた。あの時の激しさはないが、静かで如何にも平和な絵だ。
六十年の時が過ぎたのだと思った。