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雲の峰長谷川櫂という漢

小山正見

長谷川櫂先生から『長谷川櫂自選五◯◯句』という最新のご著書を頂いた。長谷川先生は、読売新聞に「四季のうた」という連載を二十年間毎日続けておられる。朝日新聞の俳句欄の選者でもある。日本を代表する俳人の一人である。俳人協会や現代俳句協会という俳句の団体と並び立つぐらい、長谷川櫂の存在感は大きい。ある意味、俳句の世界を超えた存在であるとぼくは見ている。何しろ、視野が広い。活動領域も半端ではない。
ぼくと長谷川先生との関係は以下のようである。
ぼくは、きごさい全国小中学生俳句大会の実行委員長をしている。この大会は、長谷川櫂が代表を務めるNPO法人季語と歳時記の会と私が代表をしている日本学校俳句研究会が共催をしているということになっているが、実際は、長谷川オーナーの元で私が雇われ実行委員長をしている。ざっとこんな関係である。
長谷川櫂の俳句には言葉の無駄がない。対象の本質に真っ直ぐ迫る。技巧とは無縁の俳句だ。
眼力というものかもしれない。一つ一つの俳句をああでもない、こうでもないと推敲するタイプには見えない。(違っているかもしれないが)対象と向き合い、自分の心に浮かんだものを瞬時に捉え、素直な一句にする。猛烈な心の集中力のなせる技なのだと思う。
この俳句の作り方に共感と魅力を感じる
ぱっと開いたページに

風鈴のまだ眠れずにゐるらしく

が出てきた。俳句というのは、これでいいのだ。これがいいのだと思った。
長谷川櫂は、一つの高い峰である。その中はうかがい知れない。「雲の峰」とは「入道雲」のことである。
中ではすさまじい電波が飛び交い、そこから土砂降りの雨が降ってくるか、虹が現われるか。
世の中には次元の違う漢がいるものだ。