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遠来の人と出会ひぬ神無月

小山正見

遠来の人は、カナダのモントリオールからいらっしゃった。建築とコミュニティの関係を研究されている大学の先生である。イタリア生まれで、カナダで仕事をし、日本人の御主人と共に暮らしている国際人だ。同行されているカメラマンは、日本人だがこの20年イギリスで暮らし、イギリスで仕事をされているという。
世界は、こんなにグローバルになっているのか!英語すら分からない自分は何と時代遅れなことか。
感泣亭を設計した佐野哲史さんが案内役と通訳を務めてくださった。
「なぜ、感泣亭というのですか?」
という質問からインタビューが始まった。
感泣亭は、父の小山正孝が自分の書斎につけた名前だ。我が家の玄関にも感泣亭のプレートがある。中国旅行の際には、わざわざ「感泣亭」の印を作ってもらっているので、よほど気に入った名前なのだろう。由来について、定かなことは分からないが、正孝は中国文学が専門で、平凡社から唐代詩集 杜甫の現代語訳を出している。おそらくその仕事の過程で「感泣」という言葉に出会ったものと想像される。
教職員向けの雑誌「文芸広場」に「感泣旅行覚え書」という得体の知れない文章を連載していたこともある。丸山薫賞を受賞した詩集の表題は『十二月感泣集』であった。
そんなわけで、我が家にコミュニティススペースを作った際に自然に「感泣亭」という名前が浮かんだのだった。
このスペースの設計は、先ほど述べた佐野哲史さんのグループであるが、佐野さんは、別所沼にあるヒヤシンスハウスの設計者でもある。これは、詩人立原道造のノートにあったヒヤシンスハウスを現代によみがえらせた建築である。一方、我が家の母屋は生田勉の設計による。生田勉は、立原道造の親友というべき建築家だ。父・正孝は生田勉と一緒に何度も立原道造全集の編纂に当たっている。設計を頼んだのは、そういう関係からであろう。いずれにしても、感泣亭は立原道造との縁によって生まれたものだ。
建築としての特徴は三つある。一つは一方がコンクリートの壁になっていることだ。この壁が全体を支え、狭い庭に比較的広いスペースを確保することができるようになった。
二つ目は、全体がガラス張りになっていることである。外から中が丸見えになる。中で何をしているか一目瞭然なので、不安なく中に入ることができる。またガラスの外の庭などを借景として取り入れることもでき、緑豊かな感じがする。更に気候のよい時は、ガラスを開け放ち道路と直接繋がることもできる。
三つ目は、床が煉瓦張りで、土足でそのまま入れることだ。「靴を脱いだ方が落ち着く」という考えもあったが、最終的に土足を選んだ。靴を脱ぐと靴箱というスペースを余分に作らなけれならないことがネックだった。しかし、土足を可能としたことで、スペースが外と内を繋ぐ役割を果たし、気軽に入れやすくなったと考えられる。
昨日も一人暮らしのお年寄りが中をのぞき込み「ここはとても気になっていたのよ」と寄ってくれた。
話ができる場、友達ができる場を多くの人が求めている。何人もこういう方が「感泣亭」を見つけ、感泣亭のメンバーになってくれている。
このスペース「感泣亭」を作るという発想は、私の妻の邦子のものである。感泣亭は、妻の思いそのものであり、妻の夢である。今は、病気のためグループホームに入居しているが、ぼくはこの妻の夢を夢のまま終らせず、必ず現実のものとしたいと思っている。
そんな原点にぼくを立ち返らせてくれたのが今日のインタビューであった。
良い一日だった。