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道造展五月の風をゼリーにし

小山正見

もし「絵に描いたような抒情」というものがあるとしたら、それは立原道造の詩なのではあるまいか。

夢みたものは‥‥

夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しずかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざって 唄をうたっている
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊をおどっている

告げて うたっているのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたっている

夢みたものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

ソネットと言われる十四行詩である。
立原の詩は、つい最近まで中学や高校の教科書にも載っていた。

銀座の奥野ビルの一室での行われた生誕110年の記念の展覧会に出かけた。
奥野ビルには昭和初期のレトロがそのまま残っている。手動のエレベーターには感動さえ覚える。一つ一つの部屋は狭いが画廊が数多く入り、今やアートビルの様相だ。
立原道造は、昭和14年に25歳の若さで亡くなった。奥野ビルは、立原の生きた時代そのものである。

立原は、将来を嘱望される建築家でもあった。唯一作品が残されてるとすれば、ヒヤシンスハウスであろう。これは、立原のスケッチを基に2003年に浦和に近い別所沼の畔に建てられたものである。
記念講演は、このヒヤシンスハウスについてであった。
建築の中心になった津村泰範先生(現・長岡造形大学准教授)が、立原のヒヤシンスハウスへかけた思いを書簡などから解き明かし、実際の建築の苦労を語ってくれた。たった四坪の狭い空間に立原の夢が詰まっていたことが伝わってきた。
良い会だった。「立原道造」は、後世に残していきたい遺産の一つだと改めて思った。

付け足せば、我がスペース感泣亭は津村先生と一緒にヒヤシンスハウスを作った佐野哲史氏の設計によるものであることを自慢しておこう。