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街若葉らあ麺齋藤開店す

小山正見

我が家から歩いて1分の場所にラーメン屋が開店した。この場所には以前もラーメン屋があった。その前もラーメン屋だった。そのまた前もラーメン屋だったが一回も入ったことがない。
急に入る気になったのは、評判が良さそうだからだ。サービス期間が終わっても行列がひっきりなし。「ふらっと元住吉」というサイトでも「美味かった」とかつ「名店だ」とかしきりに出てくる。ブレーメンの商店会長の伊藤さんの投稿もあった。
「評判」に引きずられる形だ。あんまりみっとも良くはない。
たまたま行列が途切れているのを見て、飛び込んだ。ラーメン、850円。何かトッピングを付けると1,000円を超す。高くなったものだ。
ぼくのラーメンの記憶は小学校に遡る。らあ麺齋藤がある道の丁度反対側の店でラーメンを食べた記憶がある。麺が縮れていたことだけが印象に残っている。その店でかき氷も食べた記憶がある。今のような「ちゃんとした」店ではなかったのは確かだ。
次は、高校の食堂だ。ラーメンは40円だった。休み時間に駆け込んで食べた。スープの味がまるでしなかった。
その次は、ずっと飛んで浅草。国際通りの今半の角を曲がり「どぜう飯田屋」の隣にあった集来軒である。昭和を背負っているような雰囲気の人気店だった。どういうわけか閉店してしまった。今は、近くに同じ名前の店が出ているが、昔の勢いはない。
浅草六区の寿司屋横丁の蕎麦「十和田」の隣に「吾妻」という店があった。ソーメンのように細い麺が特徴で、DXラーメンというメニューがあった。豪華な具が乗っているのかと思いきや何の変哲もないラーメンが運ばれてきた。食べ始めてわかった。チャーシューの具が大量に麺の下に隠れていたのだ。この店の餃子もうまかった。
サッポロラーメンが流行り、次は博多ラーメン。西麻布の霞町の交差点近くの博多ラーメン「赤のれん」には、当時勤めていた笄(こうがい)小学校の帰りによく行った。1990年代のはじめ頃である。六本木にあった「ザボン」にも通った記憶がある。この頃から脂こいラーメンが主流になり、ぼくの足はラーメン屋から遠のいた。
時々、無性にインスタントラーメンが食べたくなる。