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薄暑光自由が丘に停まりをり

小山正見

今、大相撲の夏場所が行われているが、僕が大相撲を最初にテレビで見たのは自由が丘だった。
駅前に街頭テレビがあり、黒山の人だかりだった。今は当然スローモーションだが、当時は分解写真というのがあり、カクカクと力士の動きを映し出していた。
もちろんモノクロである。
父が僕に見せるために連れてきたのだろう。
僕の中で自由が丘は、父・小山正孝(詩人・1916年-2002年)の記憶と結びついている。
一つは僕が「ヴェニス」と呼んでいる領域である。駅から歩いて5、6分であろうか。その一画だけ、イタリア風の瀟酒な建物が並び、「運河」が掘られ、ゴンドラが浮かんでいる。
父が散歩の途中によく立ち寄った場所だった。
恐らくバブルの最中に設計、建築がされたものだと思う。建てられてから30年以上経っているのは確実だが、今も姿は変わっていない。最近は中国からの旅行者などが記念撮影をする姿をよく見かける。
父に逢いたくなると、自由が丘で途中下車し「ヴェニス」に僕は寄る。
この場所を題材にした父の詩がある。
最後の詩集『十二月感泣集』に収録された「人」という詩である。正孝はこの詩集で丸山薫賞を受賞している。

 人に       小山正孝

またここに来てゐます
それぞれが色変りの煉瓦
八棟の建築に囲まれた一画
ゴンドラ一艘を浮べた人工の川がある
ベネチア風の橋もかかつてゐる
「僕はシェイクスピアの世界ではなく
紅楼夢の世界として空想をひろげたい」
「どうしてでせう」
「一棟ごとに少女を住まはせてみようといふのかな」
あなたは眉をひそめてかすかに不快を示した
あなたをその一人にしたいなどとは言はなかったのに
いまも 誰をそこへ住まはせようか
過去何十年かのあひだにめぐり逢つた女の人を
作者 曹雪芹になつたつもりで
あれこれと思ひ出しては心のままに出し入れしてゐるのです
一瞬のあなたの表情の変化も
まんざらではなかつたので
どうしようかと迷つてゐるのです
新建材の煉瓦で建てられた八棟に囲まれた一画
また僕はここに来てゐるのです

この詩を書いた時、正孝今の自分と同じ歳か、もしかしたら更に歳上だったかもしれない。
そう考えると、正孝とは相当に奇妙な人だったのだろう。
自由が丘と父の思い出は更にあるが、一旦ここで筆を置くことにする。