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薄暑光煉瓦の壁の向かう側

小山正見

たらこスパゲッティがめっちゃうまい。三楽病院での三ヶ月に一度の定期検診の後、ここに来るのが楽しみだ。
モラットリアレモンというイタリア料理店で、レモン画翠という画材屋の経営する店である。苺グレープフルーツジュースがランチに付いている。これはぼくにとっては幸せの味だ。
とんかつの「いもや」が姿を消して以来、三楽病院に通院する時はいつも「レモン」に来る。
三楽病院は、かつては教職員の病院だった。今は「教職員特権」のようなものはないが、縁で二十年にわたってこの病院の生活習慣病科に通い続けている。
「病気」はプライパシーの最たるものである。政治家にとっては病気は命取りだし、スポーツ選手や芸能関係の人たちも隠したがる。仕事に影響するからであろう。今のぼくには関係がない。
二十四歳で結婚してすぐ結核に罹った。咳が止まらなので、病院に行ったら、「レントゲンを撮ってみましょう」ということになった。
「ああ、ありますね。」
結核の影だ。
「軽いですよ。」
「どのくらいで治りますか?」
「まあ、二年か三年でしょう」
不治の病でなくなったことは幸いだが、ショックだった。
やむなく休職し入院したのが、三楽病院の野火止分院だった。結核療養病棟である。結核の特効薬はストレプトマイシンという注射だ。いかにも「注射器」という太い針から液が注入されると半日は頭が働かない。目の下がしびれてピクピクする。これが週に二回である。「ヒドラジド」と「パス」を合わせて、対結核の三種の神器という。
しかし、療養生活は自由だった。夜になると医者も看護師もいない。病院を抜け出してしょっちゅう家に帰った。囲碁も覚えた。
積極療法と称して医者を説得し、自動車学校に通い、免許を取ったのも入院中のことだった。
幸い、半年で退院し学校に復帰することができた。
「レモン」は当時からあったようだ。