俳句フォトエッセイ2024.06.26荒梅雨に門倉有希を偲びけり小山正見荒梅雨を思わせるすごい雨だった。川崎FMのスタジオである。キャスターの宮下敏子さんは、写真のように素敵な方で声も透き通るように美しい。幾分ドキドキしながらスタジオ入りした。一曲かけるのでCDを持参するように言われていた。自宅のCDラックを漁ったら、門倉有希のCDが九枚も出てきた。一時は門倉有希の後援会に入り、会員証を持ち歩いていたこともある。門倉有希さんは、この六月六日に亡くなられた。五十歳だったと言う。キャスターの宮下さんも門倉有希をよく御存知だった。追悼の気持も込めて、代表曲の「ノラ」をかけていただいた。話の一つの中心は、句集『大花野』であった。ここはどこあなたはだあれ大花野の句が話題になった。宮下さんはおじいさまが認知症を患らわれたという。「この句が作られた背景を話してほしい」と問われた。「認知症になると人生は終わりだという人もいるが、そんなことはない。」という強い思いがあったことを思い出した。その強い思いがこの句になった今、妻は車椅子になった。言葉もほとんど出てこない。でも、生きていてくれるだけでも嬉しい。人間の価値は何ができるかではない。存在そのものだ。句集『大花野』手にとっていただけるとありがたい。また、お知り合いの方にご紹介いただけるとありがたい。https://amzn.asia/d/06qshlxdそう言えば、父小山正孝も川崎FMに出演したことがあったのを思い出した。八十四歳の時だ。詩集『十二月感泣集』で丸山薫賞を受賞した時だった。その中で自身の詩を一篇を朗読している。一瞬あなたはカマキリの首をつまんで僕の方にさし出したいたづらつぽい目をしてくちびるをとがらせて僕にカマキリを見せた茶色に緑の線のある細長いカマキリ 下腹をもだえて動かしてゐたすべての足をさかんに動かしてゐた「そんなものすててしまひなさい」僕に言はれて あなたはすぐに草の上にそれを投げた二人は無言で足早に歩きつづけた大きい白い月が正面に出て強烈なつめたい光が僕たちに向つてゐたさつき見た事で僕は非常に怒つてゐたカマキリの小さい三角の顔があなたに向つて笑ひかけその一方で彼の半面は僕を冷笑してゐた身もだえながらも勝つたと言つてゐた一瞬といへど三角関係の成立を僕は許せなかった父のリクエストの曲は、美空ひばりの「お祭りマンボ」だった。
荒梅雨を思わせるすごい雨だった。
川崎FMのスタジオである。キャスターの宮下敏子さんは、写真のように素敵な方で声も透き通るように美しい。
幾分ドキドキしながらスタジオ入りした。
一曲かけるのでCDを持参するように言われていた。自宅のCDラックを漁ったら、門倉有希のCDが九枚も出てきた。一時は門倉有希の後援会に入り、会員証を持ち歩いていたこともある。
門倉有希さんは、この六月六日に亡くなられた。五十歳だったと言う。
キャスターの宮下さんも門倉有希をよく御存知だった。
追悼の気持も込めて、代表曲の「ノラ」をかけていただいた。
話の一つの中心は、句集『大花野』であった。
ここはどこあなたはだあれ大花野
の句が話題になった。宮下さんはおじいさまが認知症を患らわれたという。
「この句が作られた背景を話してほしい」と問われた。
「認知症になると人生は終わりだという人もいるが、そんなことはない。」
という強い思いがあったことを思い出した。
その強い思いがこの句になった
今、妻は車椅子になった。言葉もほとんど出てこない。でも、生きていてくれるだけでも嬉しい。
人間の価値は何ができるかではない。存在そのものだ。
句集『大花野』手にとっていただけるとありがたい。また、お知り合いの方にご紹介いただけるとありがたい。
https://amzn.asia/d/06qshlxd
そう言えば、父小山正孝も川崎FMに出演したことがあったのを思い出した。
八十四歳の時だ。詩集『十二月感泣集』で丸山薫賞を受賞した時だった。
その中で自身の詩を一篇を朗読している。
一瞬
あなたはカマキリの首をつまんで僕の方にさし出した
いたづらつぽい目をしてくちびるをとがらせて
僕にカマキリを見せた
茶色に緑の線のある細長いカマキリ 下腹をもだえて動かしてゐた
すべての足をさかんに動かしてゐた
「そんなものすててしまひなさい」
僕に言はれて あなたはすぐに草の上にそれを投げた
二人は無言で足早に歩きつづけた
大きい白い月が正面に出て
強烈なつめたい光が僕たちに向つてゐた
さつき見た事で僕は非常に怒つてゐた
カマキリの小さい三角の顔があなたに向つて笑ひかけ
その一方で彼の半面は僕を冷笑してゐた
身もだえながらも勝つたと言つてゐた
一瞬といへど三角関係の成立を僕は許せなかった
父のリクエストの曲は、美空ひばりの「お祭りマンボ」だった。