俳句フォトエッセイ2025.04.21舞ひ初むる時を待ちたる桜かな小山正見花冷のおかげで桜の花がもった。満開の桜も美しいが、その散る様はより美しいと感じる。勝ち誇る美よりも滅びゆく美の方が心に刺さるのだ。それは、人間は誰しも死ななければならないという運命と重なるからだろう。前に紹介したかもしれないが、本日は母の忌なれば花吹雪 正見という句を詠んだ。父の生きている間の母は何処となくか弱い感じがしていた。しかし、実際には強い人だった。ぼくは両親と一緒に住むことを見越して、広めの住宅を購入した。しかし、その住宅に入ることなく、父は亡くなった。ぼくは母に「一緒に住もうか」と提案した。すると、母からは、「なぜ一緒に住まないといけないの。お父さんはもういないんだから」と思いがけない答えが返ってきた。母は、父の盟友だった坂口正明さんを頼り、1年間に4冊の遺稿集を発行した。その後八戸の圓子哲夫さんが発行していた詩誌「朔」の同人となり、父の思い出を書き綴った。それは、やがて『主人は留守・・・しかし』というエッセイ集にまとめられた。死ぬ前年92歳の時には「丸火鉢」という小説すらものしている。とびきりのお洒落だった。戦時中は絶対「モンペ」を履かなかったという。年とってからも派手な指輪を幾つもつけ、ネックレスをじゃらじゃらさせていた。尊厳死協会の会員になり、点滴や治療を拒否した。「今日死ねば一番幸せなの」と言って旅立った。今考えると潔い死に方だった。写真の住吉桜は二ヶ領用水の桜である。昭和25年に植樹されたというから、もう相当の老木だ。しかし、花はなかなか見事である。舞いはじめ、水面には花筏が浮かぶことだろう。
花冷のおかげで桜の花がもった。満開の桜も美しいが、その散る様はより美しいと感じる。勝ち誇る美よりも滅びゆく美の方が心に刺さるのだ。
それは、人間は誰しも死ななければならないという運命と重なるからだろう。
前に紹介したかもしれないが、
本日は母の忌なれば花吹雪 正見
という句を詠んだ。父の生きている間の母は何処となくか弱い感じがしていた。しかし、実際には強い人だった。
ぼくは両親と一緒に住むことを見越して、広めの住宅を購入した。
しかし、その住宅に入ることなく、父は亡くなった。
ぼくは母に
「一緒に住もうか」
と提案した。すると、母からは、
「なぜ一緒に住まないといけないの。お父さんはもういないんだから」
と思いがけない答えが返ってきた。
母は、父の盟友だった坂口正明さんを頼り、1年間に4冊の遺稿集を発行した。
その後八戸の圓子哲夫さんが発行していた詩誌「朔」の同人となり、父の思い出を書き綴った。それは、やがて『主人は留守・・・しかし』というエッセイ集にまとめられた。死ぬ前年92歳の時には「丸火鉢」という小説すらものしている。
とびきりのお洒落だった。戦時中は絶対「モンペ」を履かなかったという。
年とってからも派手な指輪を幾つもつけ、ネックレスをじゃらじゃらさせていた。
尊厳死協会の会員になり、点滴や治療を拒否した。
「今日死ねば一番幸せなの」
と言って旅立った。
今考えると潔い死に方だった。
写真の住吉桜は二ヶ領用水の桜である。昭和25年に植樹されたというから、もう相当の老木だ。しかし、花はなかなか見事である。
舞いはじめ、水面には花筏が浮かぶことだろう。