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聖母月ニコライ堂の見ゆる橋

小山正見

僕の父・小山正孝と母・常子は、戦前の日本出版会で出会った。1944年のことである。
初めてのデートの約束は、お茶の水の聖橋だった。
この時、常子には、当時お見合いをした婚約者がいた。しかも挙式を2週間後に控えていた。(この事情を母は、92歳になって「丸火鉢」という小説に書いている)
戦時色とは凡そ掛け離れた空色のドレスとハイヒールを履いて、常子は聖橋をニコライ堂のドームに向かって歩いて行く。
正孝は、ドームを背に歩いてくる。橋の中央で二人は出会い、目を合わせて手を差しのべる。
常子は、この時のことを「主人は留守、しかし・・・」というエッセイに
「聖橋のデートの模様は出来すぎである。・・・映画のクライマックスの場である。こんな都合のよい風景が創作なしに出来るだろうか。あの時、彼はこの橋の辺りのどこかに潜んでいて、ドームに向かって歩き出した私を綿密に見ながら、丁度橋の真ん中で逢う様に計算して一枚の絵を作製した。歩幅も私に合わせたに違いない。私にはそうとしか思われない。彼のしそうなことである。」
と書いている。
正孝の代表作の一つに「倒さの草」(さかさのくさ)と題する詩がある。 

倒さの草      小山正孝

草むらに私たちは沈んだ
草たちは城壁のやうに私たちをくるんだ
倒さの草たちのそこの空に白い雲が浮んでゐた
青ざめたほほと細いあなたの髪の毛と
草の根方を辿つてゐる蟻と蜘蛛と
しめつた黒ずんだ土と・・・・・・
暑い暑い夏の日だつた
あなたとはもう縁もゆかりもないけれど
今も思ふ
純粋とはあれなんだ
起きあがつた時のあなたの笑顔とすずしい風と
美しいくちびるの色!

この「あなた」のモデルは、母の常子である。
「あなたとはもう縁もゆかりもないけれど」の一節だけは嘘で、僕が産まれた。
今でも聖橋からビルの間にニコライ堂が見える。