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秋澄むや音更(おとふけ)の空音更の風

小山正見

東京は暑いが、北海道はもう秋だ。
音更に行ったのは、二回目の北海道旅行の時だった。
最初に行った時から二十年経っていた。
最初の旅行は、ぼくと妻とぼくの親友のM君の三人という妙な取り合わせだった。
小樽の近くでスピード違反の反則切符を切られ、十勝の山の中で谷に落ちそうになった。
サロマ湖のほとりを三人で歩いた。宿は行き当たりばったりだった。どこに行くかさえも決めていなかった。
二十年後の二回目の目的地は二つ。一つは音更。その頃妻はパルシステムという生協に勤めており、音更は重要産地の一つだった。もう一つは、娘が文通をしていた厚岸の酪農農家を訪れることだった。
家から車で出発したことは間違いないが、途中の記憶はあやふやだ。十和田湖から奥入瀬を車で降った記憶はあるが、それが一回目だったか、二回目だったか。
青森の安い宿に泊まり、青函連絡船に乗って北海道に渡ったことは、確かだ。
記憶は点でしかないが、音更では、鮭一匹丸ごとのちゃんちゃ焼きをご馳走になったのは覚えている。
池田町の十勝レストランに行ったのは一回目だったか二回目だったか。
最初に北海道に渡った時は、サイロ風の独特な屋根の建物がやたら目についたが、二回目にはそれがあまり目につかない。内地風の家が増えていた。建築が変わったのだろうが、産業構造の変化ということもあったのかもしれない。
釧路湿原にも行ったはずだが、記憶がない。厚岸では酪農をしていると家を空けられないというは話が身に沁みた。
帰りは、釧路からフェリーに乗った。デッキのチェアーは日が燦々と当たり、実に気持ちよかった。
音更は、今どうなっているだろう。厚岸の娘さんは、うちの娘と同じ年頃だとしたら、四十代半ばのはずだ。どうなさっているだろう。
俳句フォトエッセイを書いていると、くだらないどうでもいいことも思い出すが、この歳になると、それもまた一興ではないかと思ったりする。