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病院の看板大き六日かな

小山正見

暮に近くの医者で市の健康診断を受けた。職を離れて二年。久しぶりの健康診断だ。
次の朝その医院から電話がかかってきた。
「健康診断の結果でお知らせしたいことがありますから来てください」
悪い話に決まっている。
いそいそと出かけたら
「不整脈があります」
それもベースメーカーレベルだと言う。
ずいぶん人を驚かす。
不整脈なら今に始まった話ではない。一度は負荷心電図もとり、心臓の画像診断までした。その時は「大丈夫」と言われた。
しかし、考えてみれば十年も前の話だ。
関東労災病院に紹介状を書いてもらった。
喜寿を迎えると言うのはこういうことかと思った。そろそろ死ぬ準備をしておかなければならない。
父小山正孝が死んだのはこの病院だった。脳梗塞で倒れ、入院から二十日後に誤嚥性肺炎で亡くなった。
見舞いに行き夕方別れる時に、父がぼくに話しかけた。言葉がよく聞き取れず、ぼくは何回も聞き直した。
父は諦めて「もういいよ」と手を弱々しく振った。それが最後となった。
呼び出されたのは、夜遅くである。もう意識はなかった。次第に脈が弱くなり、遂にまっすぐの線になった。
父から最後の詩を受け取ったのは、倒れる数日前だった。今読み返すと、死を予期していたかのような詩だった。

つばめ横町雑記抄
  (一)
この頃 ひくく飛ぶ つばめの
背中に 気がつく
つまり 喫茶店の 二階の窓からの
眺めである
   (二)
今は九月 彼等は
そろそろ帰つてしまふ
イソツプ物語の つばめの話を
思ひ出す
   (三)
迷ひ込んだ つばめを みて
外套を 質に入れ
こごえ死んだ 馬鹿男
   (四)
ガラス窓の外を つばめが
路上に向つて 斜めに 飛んだ
うしろから 雀が 同じ
早さで 飛んだ
もう 秋だ
   (五)
つばめは 去り
雀は 残る
ガラス窓から 雀だけ
を見ることになるのかな
   (六)
木枯らしが 吹き
木の葉たちが 雀の
やうに 舞ひおりる
といふことになる
    (七)
枯葉が 路上に
貼りつく
それを上から 眺めて ゐる
    (八)
狭い煉瓦路を
迷つて 飛んでゐねのは
僕の魂か
           (絶筆 二〇〇二年一◯月一八日)

正孝が死んだのは八十六歳の時。ぼくもそこまでは生きていたいものだ。
心電図をとって、診察を受けた。
「先のことはわからないが、ペースメーカーにはまだまだ早い」というのが医者の診断だった。説明も丁寧だし、脅かすこともぬか喜びさせることも言わない。信頼できる医者だと感じた。関係する検査を全部してもらうことにした。
あと十年への出発の一日になった。