俳句フォトエッセイ2025.01.01決着の烏鷺の戦い大晦日小山正見「烏鷺の戦い」とは、囲碁のことである。烏の黒と鷺の白が碁石の黒と白というわけだ。ぼくの趣味は、その囲碁である。写真は、新橋駅前のニュー新橋ビルた。一階には金券ショップが並び、オムライスが有名でいつも行列ができているむさしやがある。二階には、怪しげなマッサージ店や麻雀屋、三階より上はいつもシャッターが降りている店も多い。東京囲碁会館は、このビルの四階にある。大げさな名前だが、老齢のご夫婦が席亭を務める碁盤二十面ほどの小さな碁会所である。ポン友のMと毎月一回ぼくはここで会い、碁を打つ。大概彼が先に来て待っている。いったい何年ぐらいになるのだろう。最初は、錦糸町だった。教職員互助会の無料のサロンがあり、ここで碁を打った。しばらくしてここが閉鎖になり、他に移った。新橋に落ち着くまでには変遷があったと思うが記憶が定かでない。最初は、ぼくの方が強かった。二つも三つも置かせていたと思う。そのうち、彼がめきめきと腕を上げた。どうやら、地元の囲碁サークルに加入したらしい。追い抜かされる「危機感」を感じて、ぼくもYouTubeの囲碁番組などを見始めた。今は互角だ。今年の前半はぼくが白を握り続けていたが、このところ連敗。この日が今年の最終戦だ。ぼくが囲碁を始めたのは、学生の時だ。研究室の合宿で行った宿舎に碁盤があった。見よう見まねでやってみた。碁らしくなったのは、結核で三楽病院の分院で「療養」をしていた頃だったと思う。それから五十年だ。少しも強くならないが、それでもじわじわと力がついてきた。「十年もやっていて初段にならない人は珍しい」と馬鹿にされたこともある。今も初段の実力があるかどうか疑わしい。しかし、囲碁は面白い。勝負している時は全く周りが見られなくなる。最後の一手で逆転負けしたこともある。こんな時は悔やみきれない。もちろんその逆もある。性格がよくでる。僕の場合は、大雑把だ。だから大局観はなかなかいいのだが、細部を考えるのが苦手だ。囲碁でも「神は細部に宿る」 というわけで勝てる碁をよく落とす。長年通った「東京囲碁会館」が大晦日で閉館する。ニュー新橋ビルの建て替えとも関係がありそうだ。M君とどうするか話した。彼もそろそろ後期高齢者である。「あと数年はやりたいね」と彼。新しい場所を探してみるという。烏鷺の戦いはまだまだ続きそうだ。
「烏鷺の戦い」とは、囲碁のことである。烏の黒と鷺の白が碁石の黒と白というわけだ。
ぼくの趣味は、その囲碁である。
写真は、新橋駅前のニュー新橋ビルた。一階には金券ショップが並び、オムライスが有名でいつも行列ができているむさしやがある。
二階には、怪しげなマッサージ店や麻雀屋、三階より上はいつもシャッターが降りている店も多い。
東京囲碁会館は、このビルの四階にある。大げさな名前だが、老齢のご夫婦が席亭を務める碁盤二十面ほどの小さな碁会所である。
ポン友のMと毎月一回ぼくはここで会い、碁を打つ。大概彼が先に来て待っている。いったい何年ぐらいになるのだろう。
最初は、錦糸町だった。教職員互助会の無料のサロンがあり、ここで碁を打った。しばらくしてここが閉鎖になり、他に移った。新橋に落ち着くまでには変遷があったと思うが記憶が定かでない。
最初は、ぼくの方が強かった。二つも三つも置かせていたと思う。そのうち、彼がめきめきと腕を上げた。どうやら、地元の囲碁サークルに加入したらしい。追い抜かされる「危機感」を感じて、ぼくもYouTubeの囲碁番組などを見始めた。今は互角だ。今年の前半はぼくが白を握り続けていたが、このところ連敗。この日が今年の最終戦だ。
ぼくが囲碁を始めたのは、学生の時だ。研究室の合宿で行った宿舎に碁盤があった。見よう見まねでやってみた。碁らしくなったのは、結核で三楽病院の分院で「療養」をしていた頃だったと思う。
それから五十年だ。少しも強くならないが、それでもじわじわと力がついてきた。「十年もやっていて初段にならない人は珍しい」と馬鹿にされたこともある。
今も初段の実力があるかどうか疑わしい。しかし、囲碁は面白い。勝負している時は全く周りが見られなくなる。最後の一手で逆転負けしたこともある。こんな時は悔やみきれない。もちろんその逆もある。
性格がよくでる。僕の場合は、大雑把だ。だから大局観はなかなかいいのだが、細部を考えるのが苦手だ。囲碁でも「神は細部に宿る」 というわけで勝てる碁をよく落とす。
長年通った「東京囲碁会館」が大晦日で閉館する。ニュー新橋ビルの建て替えとも関係がありそうだ。
M君とどうするか話した。彼もそろそろ後期高齢者である。
「あと数年はやりたいね」
と彼。新しい場所を探してみるという。烏鷺の戦いはまだまだ続きそうだ。