俳句フォトエッセイ2025.04.15楸邨の思ひたゆたふ春の雨小山正見楸邨とは、俳人の加藤楸邨のことである。三十代だったと思う。ぼくは楸邨の鮟鱇の骨まで凍ててぶち切らるを知り、衝撃を受けた。俳句との出逢いはこの句だったと記憶している。NPO法人季語と歳時記の会が発行する『きごさい』の最新号が届いた。季語と歳時記の会は「きごさい全国小中学生俳句大会」の運営母体である。尊敬する西川遊歩さんは、この会の副代表で共に子こどもの俳句大会を運営してきた同志だ。現在は大岡信研究会の会長をされているが、一世を風靡した『地球の歩き方』の産みの親であり、若き時代にはバックパッカーとして、世界中を歩き回った伝説の人だ。その西川さんが『きごさい』に加藤楸邨と大岡信の対談の復刻と解説を連載している。貴重な資料だ。今回ですでに5回目である。この中に、「鮟鱇・・・」の句がある。この句について、大岡信は「『鮟鱇』の句ができたために、楸邨はこのときに甦っているいると思うのです。心理的に言って。句とか詩とかというものの『できる』ということは、作者における、ある作品のでき具合というのは、それができるまではだけど、できたら突然、天上界に舞い上がる、というようなそういうものですね。この句はそういう句として存在している」と褒め称えるが、それは「鮟鱇」の句が、「アンコウが魚屋の店先で、鉤にひっかけられてぶら下がっている情景を、自分が床に伏している状況に重ね合わせいる句」だからである。楸邨は「鮟鱇の骨まで凍てて」というのは、つかめたときに句になったと思えた。と述べるが、大岡信の「そのイメージが、どうして浮かんだのか」という問いに「突然に。」と答えている。かつて角川の「俳句」の特集に現代俳人の代表句の特集があつた。六十人位の方の句が掲載されていたと思うが、「どうして、この句ができたか」の質問に3分の1弱の俳人が「突然」と答えていたことを思い出した。この加藤楸邨と大岡信の対談は「俳句とはどういうものか」を深く示唆してくれる貴重な論考だと思った。この対談を世の中に出してくれた西川さんの努力を多としたい。「きごさい」の今回の特集は、「なぜ連体形止め?」これから読むが、なかなか面白そうだ。定価は、1500円。申し込みは、きごさいベースから https://kigosai.sub.jp/bs/
楸邨とは、俳人の加藤楸邨のことである。
三十代だったと思う。ぼくは楸邨の
鮟鱇の骨まで凍ててぶち切らる
を知り、衝撃を受けた。俳句との出逢いはこの句だったと記憶している。
NPO法人季語と歳時記の会が発行する『きごさい』の最新号が届いた。
季語と歳時記の会は「きごさい全国小中学生俳句大会」の運営母体である。
尊敬する西川遊歩さんは、この会の副代表で共に子こどもの俳句大会を運営してきた同志だ。現在は大岡信研究会の会長をされているが、一世を風靡した『地球の歩き方』の産みの親であり、若き時代にはバックパッカーとして、世界中を歩き回った伝説の人だ。
その西川さんが『きごさい』に加藤楸邨と大岡信の対談の復刻と解説を連載している。貴重な資料だ。
今回ですでに5回目である。
この中に、「鮟鱇・・・」の句がある。
この句について、大岡信は「『鮟鱇』の句ができたために、楸邨はこのときに甦っているいると思うのです。心理的に言って。句とか詩とかというものの『できる』ということは、作者における、ある作品のでき具合というのは、それができるまではだけど、できたら突然、天上界に舞い上がる、というようなそういうものですね。この句はそういう句として存在している」
と褒め称えるが、それは「鮟鱇」の句が、
「アンコウが魚屋の店先で、鉤にひっかけられてぶら下がっている情景を、自分が床に伏している状況に重ね合わせいる句」だからである。
楸邨は「鮟鱇の骨まで凍てて」というのは、つかめたときに句になったと思えた。と述べるが、大岡信の「そのイメージが、どうして浮かんだのか」という問いに「突然に。」と答えている。
かつて角川の「俳句」の特集に現代俳人の代表句の特集があつた。六十人位の方の句が掲載されていたと思うが、「どうして、この句ができたか」の質問に3分の1弱の俳人が「突然」と答えていたことを思い出した。
この加藤楸邨と大岡信の対談は「俳句とはどういうものか」を深く示唆してくれる貴重な論考だと思った。
この対談を世の中に出してくれた西川さんの努力を多としたい。
「きごさい」の今回の特集は、「なぜ連体形止め?」これから読むが、なかなか面白そうだ。
定価は、1500円。申し込みは、きごさいベースから
https://kigosai.sub.jp/bs/