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桜咲くコンクリートの隙間より

小山正見

池袋である。豊島区民センターの前の広場。桜が満開。屋台が出て、その前で若い男女がスマホで桜をカメラにおさめている。
どこもかしこも桜。広場はコンクリートで覆われているのに、広場の周りの数本の桜の根元だけに僅かに土が見える。
これが自然と言えるのだろうか。誰もが違和感を覚えるのではないだろうか。
では、翻って目黒川の桜はどうだろう。千鳥ヶ淵の桜はどうだろう。
これだって、上空から見れば、桜のミニチュアのテーマパークのようなものだ。安上がりのソメイヨシノを密植したおかげで、今では、日本中が桜のテーマパークのオンパレードになっている。
ミニチュアの自然を作るのは日本人の最も得意とするところだ。浜離宮しかり、清澄庭園しかりである。
私の祖父は、小山潭水と号する盆景の家元であった。盆景とは、小さなお盆の上に景色を造型する芸術である。日本庭園がミニチュアとすれば、盆景はミニチュアのそのまたミニチュアということになる。盆景は、今は廃れてしまったが、子どもの頃その見事さに唸った記憶がある。
自然、自然と言われるが、私が好きなのは冷房の効いた窓の内側から風にそよぐ豊かな緑を眺めることだ。虫も蚊もゲジゲジもいない森の道を散策することだ。こたつに入りながら雪見障子の向こう側のしんしんと降り積もる雪を心に感じることだ。
私の好きなのは、本来の自然ではなく「家畜化された自然」に過ぎないのかもしれないと考えてしまうと何か複雑である。