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朝顔のずらりと並び梅雨明ける

小山正見

18日(木)、夏休み前の最後の俳句の授業を江東区のある小学校で行った。
校庭には、ずらりと一年生の育てている朝顔の鉢が並んでいる。
一年生の国語で「大きなかぶ」を習うように、一年生はずっとずっと昔から朝顔を育てている。
朝顔は、種から発芽、蔓をまき成長が観察しやすいこと、丈夫で一年生でも育てやすいことが理由だろう。
この朝顔は、今日には校庭から姿を消す。各自家に持ち帰り観察しろというわけだ。
一時背の低い朝顔が流行ったことがあった。
大きいと持ち帰るのが大変だからだ。また、風などで鉢が倒れるのを防ぐ意図もあった。
しかし、恐らく「朝顔らしくない」という理由で、元に戻ったのだろう。
実は「朝顔」は秋の季語とされている。
花が咲くのは、立秋以降が最盛期だっのかもしれない。
「西瓜」も歳時記では秋だ。現代俳句協会の橋本直氏が長谷川櫂氏が主宰する「きごさい」の冊子に、研究成果を発表しておられる。それによると、明治以降「西瓜」を夏の季語に変更する動きは何度もあったが、結局は江戸期の歳時記にあった「西瓜は秋」が何となく残っているというのが実相らしい。
結構いい加減なのだ。
しかし、俳句の凄いところは、そうした季の違いも巧みに取り込んでしまうところにもあるのかもしれない。
俳句指導を始めた頃は一つの句に季語は一つ!と強調したり、それを是正するのが指導だと思っていた。
最近は考え方が変わった。
問題は情景や気持ちが伝わってくるか否か。それ以外にこども俳句の判断基準はない。そう考えるようになった。形ではなく、中身だ。

ちなみに、挙げ句も季重なりである。(笑)