俳句フォトエッセイ2025.02.07春を待つ如何にも干支の顔をして小山正見陶芸教室の前に並べられた干支の小さな植木鉢だ。古い木造の陶芸小屋の中ではレッスンが行われている。もう使われていない煉瓦の窯は魯山人の窯だと誰かが言う。その庭で珈琲を啜りながら一時を過ごした。蝋梅が香ってくる。Mさんが、「これは、同じ蝋梅でも素心蝋梅というのよ」と教えてくれた。まだ寒の内だが、風もなく暖かい。日差しは春のようだ。道の脇には著莪が群れている。「花の咲く頃来たら綺麗でしょうね」北鎌倉の吟行会である。今日の目的地の一つは、浄智寺である。鎌倉十井の一つ、甘露の井があり、階段をのぼると花頭窓のある鐘撞堂が待っている。鎌倉七福神の一つ布袋尊が如何にも穏やか表情を浮かべている。どうにか一句得たいと思うが、なかなか上手くはいかない。 それでもいろいろなことを教えて頂き、新しいことをいくつか知る。俳句は積み重ねの文学だ。こうやって積み重ねればそのうち上手くなると自分に言い聞かせれば、本当に上手くなるに違いない。そして宝の庭。なんの変哲のない庭でも、そう言われると「そうかな?」と思ってしまう。ネーミングは大事だ(笑)鎌倉に戻って句会と新年会。料理も悪くなかったが、それより最後に食べたデザートの葛切りが一番美味しかったという意見で全員が一致したのはおかしかった。吟行会は言葉も心も癒す魔法のようなものだ。矢印に沿ひて歩けば春爛漫
陶芸教室の前に並べられた干支の小さな植木鉢だ。古い木造の陶芸小屋の中ではレッスンが行われている。
もう使われていない煉瓦の窯は魯山人の窯だと誰かが言う。
その庭で珈琲を啜りながら一時を過ごした。蝋梅が香ってくる。
Mさんが、
「これは、同じ蝋梅でも素心蝋梅というのよ」と教えてくれた。
まだ寒の内だが、風もなく暖かい。日差しは春のようだ。
道の脇には著莪が群れている。
「花の咲く頃来たら綺麗でしょうね」
北鎌倉の吟行会である。
今日の目的地の一つは、浄智寺である。鎌倉十井の一つ、甘露の井があり、階段をのぼると花頭窓のある鐘撞堂が待っている。鎌倉七福神の一つ布袋尊が如何にも穏やか表情を浮かべている。
どうにか一句得たいと思うが、なかなか上手くはいかない。 それでもいろいろなことを教えて頂き、新しいことをいくつか知る。
俳句は積み重ねの文学だ。こうやって積み重ねればそのうち上手くなると自分に言い聞かせれば、本当に上手くなるに違いない。
そして宝の庭。なんの変哲のない庭でも、そう言われると「そうかな?」と思ってしまう。ネーミングは大事だ(笑)
鎌倉に戻って句会と新年会。料理も悪くなかったが、それより最後に食べたデザートの葛切りが一番美味しかったという意見で全員が一致したのはおかしかった。
吟行会は言葉も心も癒す魔法のようなものだ。
矢印に沿ひて歩けば春爛漫