俳句フォトエッセイ2025.02.04春めくや並びて鱈子スパゲッティ小山正見トラットリアレモンは、お茶の水のレモン画翠の経営するイタリアンレストランである。レモン画翠は大正時代から続く由緒ある店だ。トラットリア「レモン」は鱈子スパゲッティがメニューの中心で、それに苺ジュースがつく。人気で昼になると行列ができる。店内も実にお洒落。ぼくがここに来るのは、ほぼ、三ヶ月に一度、三楽病院の定期検診の血液検査の後である。この時だけは塩辛い鱈子スパゲッティを楽しみ、甘い苺ジュースを心置きなく飲む。しかし、それも今日で終わりだ。三楽病院から撤退して地元の病院に移ることにしたからだ。その経緯は前に書いたのでここでは省く。三楽病院は元々は教職員の病院だった。公益法人東京都教職員互助会が運営している。五十年前は、東京都の教職員であれば自己負担なしで診療ができ薬ももらえた。今は、普通の病院と変わらない。ぼくは、ここの生活習慣病科に二十年通い続けて「まあ、しばらく様子を見ましょう」と安心感を与えてもらってきた。胃や腸のボリープもとってもらったし、心臓の検査もしてもらった。精神科で睡眠薬をもらったこともある。しかし、一番印象に残っているのは息子が生まれた時のことだ。病院の建物はまだ古いかった。四十年以上も前のことだ。妻は三楽病院の産婦人科に入院していた。早産の危険があるというので、早めに入院したのだ。それでも生まれた子どもは未熟児に近く、黄疸などの症状もあり、保育器に入れられていた。看護師さんに「子どもは生きますか?死にますか?」と聞いたら、「そんなことわかりません」と答えられた。病院の裏に駐車場があり、そこに当時乗っていたホンダのシビックを置いて、毎日のように子どもに会いに行った。運よく、退院の日を迎えることができた。退院の日だというので、すぐ乗れるように病院の玄関の前に車を止めで妻を迎えに行った。お医者さんやお世話になった方々に挨拶に回って外に出たら、車がない。駐車違反でレッカー移動されてしまったのだ。病院の廊下で新生児を抱いた妻が心細げだった。その子は、今は一人前の社会人になっている。時が過ぎたということだ。三楽病院の門を潜ることは二度とないかもしれない。しかし、レモンの鱈子スパゲッティはまた食べてみたい。
トラットリアレモンは、お茶の水のレモン画翠の経営するイタリアンレストランである。レモン画翠は大正時代から続く由緒ある店だ。
トラットリア「レモン」は鱈子スパゲッティがメニューの中心で、それに苺ジュースがつく。人気で昼になると行列ができる。店内も実にお洒落。
ぼくがここに来るのは、ほぼ、三ヶ月に一度、三楽病院の定期検診の血液検査の後である。
この時だけは塩辛い鱈子スパゲッティを楽しみ、甘い苺ジュースを心置きなく飲む。
しかし、それも今日で終わりだ。
三楽病院から撤退して地元の病院に移ることにしたからだ。その経緯は前に書いたのでここでは省く。
三楽病院は元々は教職員の病院だった。公益法人東京都教職員互助会が運営している。
五十年前は、東京都の教職員であれば自己負担なしで診療ができ薬ももらえた。
今は、普通の病院と変わらない。
ぼくは、ここの生活習慣病科に二十年通い続けて「まあ、しばらく様子を見ましょう」と安心感を与えてもらってきた。胃や腸のボリープもとってもらったし、心臓の検査もしてもらった。精神科で睡眠薬をもらったこともある。
しかし、一番印象に残っているのは息子が生まれた時のことだ。
病院の建物はまだ古いかった。四十年以上も前のことだ。
妻は三楽病院の産婦人科に入院していた。早産の危険があるというので、早めに入院したのだ。それでも生まれた子どもは未熟児に近く、黄疸などの症状もあり、保育器に入れられていた。
看護師さんに
「子どもは生きますか?死にますか?」
と聞いたら、
「そんなことわかりません」
と答えられた。
病院の裏に駐車場があり、そこに当時乗っていたホンダのシビックを置いて、毎日のように子どもに会いに行った。
運よく、退院の日を迎えることができた。
退院の日だというので、すぐ乗れるように病院の玄関の前に車を止めで妻を迎えに行った。
お医者さんやお世話になった方々に挨拶に回って外に出たら、車がない。駐車違反でレッカー移動されてしまったのだ。
病院の廊下で新生児を抱いた妻が心細げだった。
その子は、今は一人前の社会人になっている。
時が過ぎたということだ。
三楽病院の門を潜ることは二度とないかもしれない。
しかし、レモンの鱈子スパゲッティはまた食べてみたい。