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星の如闇を埋むる桜かな

小山正見

夕飯を食べた後、散歩に出かけた。ようやく体調が元に戻ったということだ。
3月の後半はとても歩く気力はなかった。風邪が花粉症かわからないが、微熱のような症状があり、体が重くだるかった。それがようやく抜けたようだ。
くねくねした道を通り綱島街道まで出て、そこから戻るというのが基本コースだ。早足だと15分から20分。
今日は、綱嶋街道を通り越して住吉桜の様子を見てきた。大分葉桜になっていた。花の塵が木の根元に吹き寄せられ、二ヶ領用水には花びらが流れていた。
「次の日曜日まではもちそうにない」
と思いながら、帰路についた。
若い時は、ぼくの辞書に「歩く」という言葉はなかった。短い距離でもバスに乗れれば乗った方がよいと考えていた。その考えが変ったのは、妻のお陰だ。当時、妻は首都圏コープ連合会に勤めていた。今のパルシステムである。本郷にあった連合会の事務所から墨田区の業平橋にあった自宅まで、彼女は歩いて帰ってきた。
「1時間ぐらいよ」
と平気に言う。ぼくには「1時間も歩く」という発想がまるでなかつた。電車にのるもの、バスに乗るものという固定概念に囚われていたのだ。
「歩けるんだ!」
新鮮だった。妻の影響で当時勤めていた港区の麻布小学校から東銀座まで歩くことが多くなった。少しずつ歩くことが平気になっていぅた。「少々の距離なら歩く」ことが普通になった。
江東区なの八名川小学校に勤めたときは、役所まで良く歩いた。約40分だった。電車を使っても30分かかる。たった10分の差だ。これなら歩いた方が健康に良いし、区内の様子もわかる。絶対にいいに決まっていると思った。
江東区役所に勤めた時は、教育委員会のある六階まで必ず階段で上った。
iPhoneをみたら、この1年間の一日当りの平均歩数は、9538歩であった。
(にも関わらず、足の筋肉量が少ないのは何処かに何か問題があるのかもしれないが・・・・)
この経験が、ぼくの「夜の散歩」を支えている。
我が家の裏に公園がある。少し回り道をしてその桜を見てみることにした。
まだまだ写真のように見事だった。見上げると月さえ隠れそうだ。子どもの時にプラネタリウムで見た満点の星空が瞬時に頭に浮かんだ。
いい散歩だった。
大花野展の二日目。今日も大勢の方がいらしてくださった。昼ご飯も食べられないほどだったが、友との語らいは楽しい。今日もよい一日だった。さあ、風呂に入って寝ることにしよう。