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散らんとす平八郎の銀杏かな

小山正見

見事な黄葉!
後は散るのを待つばかりである。
ここは千代田区の東郷公園。正式名称は、「東郷元帥記念公園」である。
この場所には、かつて東郷平八郎の屋敷があった。
後ろの建物は千代田区立九段小学校である。A先生と共に俳句の授業でお邪魔した。
ご存知方はご存知だが、東郷平八郎は、かの日露戦争で連合艦隊司令長官としてバルチック艦隊を破った大提督であり、東洋のネルソンと称される。
ぼくは、今はどちらかと言えば平和主義者だが、子どもの頃は軍国少年であった。
当時流行った「明治天皇と日露大戦争」などの映画を胸をわくわくさせながら観に行った。
昭和三十年代初め頃の社会の空気はこれを是とするものだったのだろう。この映画は観客動員数二千万人と2001年に「千と千尋の神隠し」に抜かれるまで日本の観客動員数一位を誇っていた。
子ども向けの戦記物も貸本屋で借りて読みまくっていた。「若鷲の歌」や「水師営の会見」など軍歌のレコードもよく聴いた。歌ったことさえあった。
日本海軍の軍艦や戦闘機に関する本をぼろぼろになるまで読み込んだ。連合艦隊の戦艦や航空母艦、巡洋艦などの名前や性能はほぼ頭の中に入っていた。
丁度プラモデルが流行り始めた頃だった。組み立て色を塗ると何となく本物らしい。今でもそのいくつかは、本棚に飾ってある。
その軍国思考がどこでどう変わったか今となっては不明だが、読書が大きな影響を与えたことは確かだろう。
「ドリトル先生」シリーズや「ツバメ号とアマゾン号」などを繰り返し読んだ。「海に育つ」という少年の成長物語は憧れの対象となった。
軍艦に対する興味の対象はいつの間にか鉄道の車両などに向けられるようになり「鉄道ファン」や「鉄道ピクトリアル」という雑誌の愛読者になっていた。
「敵中横断三百里」(山中峯太郎)などを好んだのは、ぼくにとっての一つの冒険物語だったのだろう。戦争でなくても人生は冒険に満ちていることがわかってきたのかもしれない。
付け加えて言えば、教員になった頃も宴会と言えば、軍歌が歌われていた。それが急速に無くなった。1970年代だ。それはカラオケの普及と無関係ではない。
別に誰も軍歌が好きだったわけではないがアカペラで歌うには、軍歌が1番歌いやすかったいう話だったのだと思う。