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往く路にさざんか溢るるばかりなり

小山正見

さざんかは息の長い花である。十一月頃から花をつけ始め、半年もの間咲いていたりする。咲き終わっても葉の緑が美しい。
妻のお世話になっているグループホームがこの路の先にある。
さざんかはぼくに元気をくれる。
妻がグループホームにお世話になるようになってから丸三年が過ぎた。四回目の正月を迎えた。
ぼくはこの間、このささんかの路を二百回近くの往復したことになる。
今から考えると最初の一年間は普通に歩けたし、話もそれなりに通じた。
二年目になると歩けなくなり、車椅子になった。自分で体を支えるのが難しくなってきた。
三年目になって、言葉があまりでなくなってきた。
今は、自分で食事をすることも難しくなっている。ほとんど寝たきりと言ってもよい。
一回、一回では「先週とお変わりなく過ごしています」なのだが、積み重ねるとこういうことになる。
発症して十三年目だろうか。
それでも好きな音楽をかけるとリズムに合わらて手を振ったりする。
話しかけると時折うなづく。時には笑顔を見せてくれる。
生きているということは素晴らしい。それだけでも奇跡だと思う。
「悲しくはないか」と問われることがある。
悲しいに違いないが、悲しがっても仕方ないから悲しがらないことにしている。
七十七歳まで生き、五十年以上一緒に過ごした。これで十分ではないか。

句集『大花野』の三刷が決まった。
「『大花野』は奥さんの著作だね」
と言われたことがある。その通りだと思う。

「あなたのは」とばかり訊く妻さくらんぼ

の句はすでに一人歩きを始めている。
『大花野』は妻の生きた印であり、僕ら二人で歩んだ証でもある。
一人でも多くの人の手にとってもらえるように努力していきたいと思う。
感泣亭を更にみんなの過ごせる場にすることも妻の願いであった。
明日からまたその新たな営みが始まる。
少しでも楽しい場を広げるようにぼく自身が楽しく過ごしていきたい。