俳句フォトエッセイ2025.03.11川崎を貫く鉄路風光る小山正見東京新聞川崎版(2/25)です。https://www.tokyo-np.co.jp/article/387952NHKの番組「時空鉄道・あの頃に途中下車」でJR南武線が紹介された。歌手の郷ひろみさんが登場し、お父上が尻手駅に勤めていたエピソードが披露された。今、何かと南武線が話題だ。 ぼくは、東急沿線の元住吉に住んでいるが、これまでは川崎よりも渋谷や横浜に親近感を感じて生活してきた。しかし、川崎の発展を考えた時、JR南武線を大切にしなければならないと思う。細長く連なる川崎の七つの区。それを貫くように結びつけているのは、南武線しかないからだ。南武線は、川崎市にとって動脈であり、その生活を支えている鉄道である。 実はこのJR南武線、戦前は南武鉄道という私鉄だった。1919年、地元の有力者が多摩川の砂利を湾岸の工業地帯に運ぶために「多摩川砂利鉄道」として免許出願したのがその始まりだ。計画の途中で「南武鉄道」と名前を変え、電化路線として27年に川崎-登戸間が開通。30年には尻手-浜川崎間も旅客輸送が始まり、全線開通となったのである。 戦争が始まると、軍需物資を運ぶ南武鉄道の役割は大きくなってきた。44年、軍部は1通の電報で南武鉄道を国家買収した。当時のお金で2700万円だったという。戦時公債で支払われたが、戦中・戦後のインフレでその価値はあっという間に暴落し、公債はただの紙切れになってしまった。 戦後の南武線の茶色い車両はよく覚えている。中央線などの中古車両が使われたのだろうか。映画のロケにもよく使われたらしい。「首都圏でこんなに古ぼけた鉄道は他にないから」という理由だったそうだ。 今はなんという変わりようか。南武線に新しい車両が投入され、水素ハイブリッド車両の運行実験さえ行われているという。高架化が進み、開かずの踏切は解消しつつある。写真の南武線はなかなか格好いい。
東京新聞川崎版(2/25)です。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/387952
NHKの番組「時空鉄道・あの頃に途中下車」でJR南武線が紹介された。歌手の郷ひろみさんが登場し、お父上が尻手駅に勤めていたエピソードが披露された。今、何かと南武線が話題だ。
ぼくは、東急沿線の元住吉に住んでいるが、これまでは川崎よりも渋谷や横浜に親近感を感じて生活してきた。しかし、川崎の発展を考えた時、JR南武線を大切にしなければならないと思う。細長く連なる川崎の七つの区。それを貫くように結びつけているのは、南武線しかないからだ。南武線は、川崎市にとって動脈であり、その生活を支えている鉄道である。
実はこのJR南武線、戦前は南武鉄道という私鉄だった。1919年、地元の有力者が多摩川の砂利を湾岸の工業地帯に運ぶために「多摩川砂利鉄道」として免許出願したのがその始まりだ。計画の途中で「南武鉄道」と名前を変え、電化路線として27年に川崎-登戸間が開通。30年には尻手-浜川崎間も旅客輸送が始まり、全線開通となったのである。
戦争が始まると、軍需物資を運ぶ南武鉄道の役割は大きくなってきた。44年、軍部は1通の電報で南武鉄道を国家買収した。当時のお金で2700万円だったという。戦時公債で支払われたが、戦中・戦後のインフレでその価値はあっという間に暴落し、公債はただの紙切れになってしまった。
戦後の南武線の茶色い車両はよく覚えている。中央線などの中古車両が使われたのだろうか。映画のロケにもよく使われたらしい。「首都圏でこんなに古ぼけた鉄道は他にないから」という理由だったそうだ。
今はなんという変わりようか。南武線に新しい車両が投入され、水素ハイブリッド車両の運行実験さえ行われているという。高架化が進み、開かずの踏切は解消しつつある。写真の南武線はなかなか格好いい。