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宮殿に鎮座したまふ聖樹かな

小山正見

現代の貧困、貧富の格差、ヤングケアラーその他、様々な問題が現代の日本には渦巻いていると言ってよい。
これらの問題をひとまず脇に置いて、今日は100年、200年単位で物事を考えてみる。
写真はもちろん宮殿ではない。我が家からほど近い所にあるマンションのエントランスだ
この光景かエセであることは間違いない。玄関だけが映画のセットのようだという酷評もできよう。それでも野村不動産の建築だから、この辺りでは高級の部類に入ることは確かだ。
日本人の生活はこのニ三百年で劇的に変わっている。
一つは命の問題だ。
子どもの死亡数が圧倒的に少なくなった。江戸時代では将軍さまの子どもでも容赦なく死んだ。江戸時代の平均寿命が三十歳台だったのは、幼児の死亡率の高さによる。間引きなど、命に関する感覚は現在とは雲泥の差があったことは容易に想像できる。
命の軽視は人権の軽視と繋がっている。
今では、日本人の平均寿命は八十歳を超えた。古希は七十歳だが、稀ではなくなった。
二つ目は、いうまでもなく経済的な問題、食と住の問題だ。
制限はあるにしても、高級なレストランで食事をし、たらふく飯を食べることができる。暖かく、夏は涼しいエアコンの効いた部屋で過ごすことができる。行こうと思えば、世界のどこにでも行ける。
自動洗濯機は実に楽だ。50年前の最新鋭のコンピュータを各々がスマホという形で一人一人が携帯している。
こう見ると、人類が到達したことのない社会に我々は住んでいるように思う。
しかし、地球全体から考えれば、人類だけが突出した歪んだ世界だ。
資源を好きなだけ使い、すべての土地を我が物としている。クマがちょっと顔を出すと害獣になひ撃ち殺される。鹿だって猪だってたまったものではない。
SDG sはそれを少しでも是正したいということなのだろうが、人間の既得権益はそのままだからおままごとのようなものだ。
もしかしたら、思いもしない形で、しっぺ返しが待っているのかもしれない。
原爆なのか、感染症なのか、少子化なのかその他の何かなのか。
そう考えると、このイルミネーションがいつ爆発しても不思議ではない