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夕立過ぎ電信柱の仁王立

小山正見

雨が止んだので、散歩に出た。薄暗くなりかけた空に一本の電信柱が伸びていた。
僕はこの電信柱を鮮明に覚えている。
小学校5年生の時だった。僕は自転車に乗っていた。突然カーブの向こうからダンプカーが現れた。避けようとした。
そこにこの電信柱が立ち塞がったのだ。
内輪差というやつだろう。僕は逃げ道を失い、自転車は5トン積みのダンプカーの下敷になった。
僕は偶然跳ね飛ばされて、反対側の垣根の中に体ごと突っ込んだ。自転車はぐちゃぐちゃになったが、僕はかすり傷だけで済んだ。運転手が僕を背負って家まで連れてきてくれた。
警察が来た覚えはないし、医者に連れて行かれた覚えもない。そういう時代だったのだろう。
よほど恐ろしかったのだろう。その後数ヶ月僕は自転車に乗っていない。
しかし、また自転車に乗るようになると、横浜や横須賀まで自転車で出かけた。肩のすぐ横を大型のトレーラーが通り過ぎていった。
辰巳団地の学校に勤務した時は、三ツ目通りをドロップハンドルのスポーツ車で通った。しかし、一年は続かなかった。車の横を通るのが怖くなったのだ。30代の頃だ。
その後も自転車に乗ったが、最後は電動アシストになった。しかし充電が切れると普通に漕ぐのも重い。
川崎に引っ越したのを契機に、僕は自転車をやめた。それからすでに10年が経っているが、70年近く前の電信柱の記憶は今でも鮮明である。