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基督(キリスト)の大きな腕(かいな)十二月

小山正見

この腕を見るとキリストの胸の中に抱かれたいと一瞬思う。
しかし断っておくが、ぼくはキリスト教徒ではない。教会の中に入ったことは数えるほどしかない。
子どもの時に一回、あとは観光旅行の見学地としてである。長崎の五島市に俳句の授業に出向いた際には、福江島の教会を巡った。
一番最近は、お茶の水にあるニコライ堂だ。正式名称は「東京復活大聖堂」というのだそうだ。調べたら、日本正教会の府主教座教会とあった。よくわからないが、一番権威がある教会なのだろう。
仏教の寺院もそうだが、中は荘厳そのもの。神様の威厳が漂っており、その空気が心の中まで染み渡ってくる。
最近急にぼくの周りにキリスト者が増えた。
まず、詩人の服部剛さんである。服部さんは自然体で心に届く詩を書く人だ。
これまでに何冊かの詩集を出しているが、ダウン症の一人息子のことを描いた「天使が我が家にやってきた」には心を揺さぶられる。最近、この続編「我が家に天使がやってきた 小学生編」が発行された。服部さんのお子さんに対する家族に対する真摯な生き方が心を打つ。機会を見つけてぜひ手に取っていただきたい。
服部さんを通じて、カトリックの何人かのキリスト者と出会ったが、どの方も心の中に静かな力を秘めているように感じた。
服部さんは「カトリック生活」という雑誌に詩を書き続けてきた。こちらも「天の指揮者」という題で出版されている。
もう一人はM君だ。小学校一年生の時からの親しい友達だ。彼の父親と私の父親が同じ会社にいて、親友だった。だから、彼とぼくは無条件に親しかった。小学校卒業以来、数十年間一度も会わなかったが、再会した1分後には、昔の親しさが蘇ってきた。
その彼もキリスト者だ。キリスト教だから皆同じ仲間だろうと思ったら違った。彼は、イギリス国教会なのだそうだ。
仏教でもいろいろな宗派があるのだから、キリスト教にもいろいろあるのは当然だし、統一協会やエホバの塔までキリスト教を名乗っているのだから、凄まじい数の分派があるのだろう。
人は皆生活の仕方も考え方が異なるのだから、分かれるのが当然とも言えようが、どうして人は一致点よりも相違点を探しがるのかという哲学的な問題に結びつくような気もする。
キリストの大きな腕は全ての人を一つに包み込むように見えるのだが、人間というものはなかなか難しい生き物だ。