俳句フォトエッセイ2025.01.05土井伸の運を呼び込む歌留多かな小山正見感泣亭歌留多第ニ弾として「土井さんの達筆神経衰弱」が売り出された。ぼくと土井さんとの関係について話してみよう。八名川小学校で子ども俳句に取り組み始めた頃、保護者にも俳句を広めたいと思った。そして始まったのが「八名川句会」だ。この句会、今も続いている。ある時、メンバーの一人であったOさんが、新メンバーを連れてきた。それが土井さんだった。その時は、土井さんは学校の近くで書道教室を開き、Oさんはその生徒だった。土井さんは生徒だったOさんの誘いを断れなかったのかもしれない。土井さんはしばらくの間、八名川句会に参加されていたが、そのうち姿が見えなくなった。上野の方でギャラリーを始められたと聞いた。個人的に話をしたことは一回もなかった。ぼくは、2022年3月で江東区の仕事を終えた。丁度その頃である。帰りに茅場町から日比谷線に乗った。築地を過ぎた頃Facebookに「銀座で店番をしています。暇な人がいたらきてください」と言う書き込みがあった。一瞬迷ったが、銀座で地下鉄を降りた。五分遅かったら土井さんとの出会いはなかっただろう。土井さんはメルサの地下に居た。変わらぬ穏やかな顔だった。それからである。初めはOさんと土井さんが感泣亭に見えられた。「何かやりたいね」と言う話になった。そして、「豆ちゃんの伝説のお赤飯」が実現した。サロンd e感泣亭が定例的に始まり、俳句フォトの取り組みが本格化した。妻の夢だった感泣亭が生きて動き始めた。全て土井さんのお陰である。土井さんは人に運を与える天才だ。土井さん歌留多は霊験あらかた!あなたにも開運をもたらすに違いない。1500円で感泣亭で発売している。運が欲しい方は小山まで連絡されたし!
感泣亭歌留多第ニ弾として「土井さんの達筆神経衰弱」が売り出された。
ぼくと土井さんとの関係について話してみよう。
八名川小学校で子ども俳句に取り組み始めた頃、保護者にも俳句を広めたいと思った。そして始まったのが「八名川句会」だ。
この句会、今も続いている。
ある時、メンバーの一人であったOさんが、新メンバーを連れてきた。それが土井さんだった。その時は、土井さんは学校の近くで書道教室を開き、Oさんはその生徒だった。土井さんは生徒だったOさんの誘いを断れなかったのかもしれない。
土井さんはしばらくの間、八名川句会に参加されていたが、そのうち姿が見えなくなった。上野の方でギャラリーを始められたと聞いた。個人的に話をしたことは一回もなかった。
ぼくは、2022年3月で江東区の仕事を終えた。
丁度その頃である。
帰りに茅場町から日比谷線に乗った。築地を過ぎた頃Facebookに「銀座で店番をしています。暇な人がいたらきてください」と言う書き込みがあった。
一瞬迷ったが、銀座で地下鉄を降りた。
五分遅かったら土井さんとの出会いはなかっただろう。
土井さんはメルサの地下に居た。変わらぬ穏やかな顔だった。
それからである。初めはOさんと土井さんが感泣亭に見えられた。
「何かやりたいね」
と言う話になった。
そして、「豆ちゃんの伝説のお赤飯」が実現した。
サロンd e感泣亭が定例的に始まり、俳句フォトの取り組みが本格化した。妻の夢だった感泣亭が生きて動き始めた。
全て土井さんのお陰である。
土井さんは人に運を与える天才だ。
土井さん歌留多は霊験あらかた!あなたにも開運をもたらすに違いない。1500円で感泣亭で発売している。運が欲しい方は小山まで連絡されたし!