俳句フォトエッセイ2025.01.04冬温しさらばよこすげ小学校小山正見この日は、こすげ小学校で先生方の俳句の研修会を行なった。各学級で俳句の授業をしているが、「なぜそうするのか」がわかると理解がグッと深まる。ある程度理屈が必要なのだ。楽しい研修会になった。授業形式で先生方を子どもに見立て、俳句だけでなく授業技術についても触れる。子どもの話を聞く時の教師の立ち位置とか、子どもとの距離の取り方とか、ところどころに織り込む。あっという間の二時間だった。この研修会でぼくのこすげ小学校での仕事は全て終了した。感慨深い。記念に帰りに正面玄関で写真を撮ってもらった。ぼくの右側にあるのは、欅のモニュメントである。小谷野小学校との統合の時に学校の名前を「けやき小学校」にしても良いと思うほどの大きな欅の木があった。倒木の危険があり、泣く泣くその木を切った。それがこのモニュメントの欅だ。ぼくは、この学校で初めて校長になった。その前は、港区の御成門小学校に居た。学区域は新橋だ。たくさんの人が行き交っていたが、保護者とすれ違うことも子どもたちがどこに住んでいるのかもわからなかった。「小菅」(統合前は漢字の小菅小学校だった)に来たら、通勤の行き帰りに子どもたちが、保護者の方々が挨拶してくれた。この町には「暮らしがある」と心が温かくなった。俳句と出会ったのもこの学校でであった。当時、ぼくは、頼まれてサンケイ新聞の夕刊のコラム記事を書いていた。時々に学校で起きた出来事を取り上げ、意見を書いた。その中で俳句のことを取り上げたが、ぼくが感動したのは次の句である。「元気でね 私の好きな お母さん」こう言われたお母さんの気持ちは如何許りであろうか。と書いた。ぼくの俳句に対する理解はこの程度であったのだ。しかし、「これでいいのだ」という気持ちも同時に今のぼくの中に残っている。
この日は、こすげ小学校で先生方の俳句の研修会を行なった。
各学級で俳句の授業をしているが、「なぜそうするのか」がわかると理解がグッと深まる。
ある程度理屈が必要なのだ。
楽しい研修会になった。授業形式で先生方を子どもに見立て、俳句だけでなく授業技術についても触れる。
子どもの話を聞く時の教師の立ち位置とか、子どもとの距離の取り方とか、ところどころに織り込む。
あっという間の二時間だった。
この研修会でぼくのこすげ小学校での仕事は全て終了した。感慨深い。
記念に帰りに正面玄関で写真を撮ってもらった。
ぼくの右側にあるのは、欅のモニュメントである。小谷野小学校との統合の時に学校の名前を「けやき小学校」にしても良いと思うほどの大きな欅の木があった。倒木の危険があり、泣く泣くその木を切った。それがこのモニュメントの欅だ。
ぼくは、この学校で初めて校長になった。その前は、港区の御成門小学校に居た。学区域は新橋だ。たくさんの人が行き交っていたが、保護者とすれ違うことも子どもたちがどこに住んでいるのかもわからなかった。
「小菅」(統合前は漢字の小菅小学校だった)に来たら、通勤の行き帰りに子どもたちが、保護者の方々が挨拶してくれた。この町には「暮らしがある」と心が温かくなった。
俳句と出会ったのもこの学校でであった。
当時、ぼくは、頼まれてサンケイ新聞の夕刊のコラム記事を書いていた。時々に学校で起きた出来事を取り上げ、意見を書いた。
その中で俳句のことを取り上げたが、ぼくが感動したのは次の句である。
「元気でね 私の好きな お母さん」
こう言われたお母さんの気持ちは如何許りであろうか。
と書いた。
ぼくの俳句に対する理解はこの程度であったのだ。
しかし、「これでいいのだ」という気持ちも同時に今のぼくの中に残っている。