俳句フォトエッセイ2025.04.19何処にも青春のあり仏の座小山正見道端に紫色の花が群生していた。「何だろう?」と近寄って見たら「ホトケノザ」だった。この名前は、葉っぱの形が仏様の座る蓮の葉に似てることからである。何処にでもよく見る草だが紫の綺麗な花を意識したのは初めてだ。春の初めは黄色の花が多い。次に白や紫が現れる。紫はミツバチや花アブを惹きつける色だそうだ。あの地味なホトケノザにも一瞬の青春があるのだなぁと思った。昔、森田公一とトップギャランの「青春時代」という歌が流行った。「青春時代の真ん中は胸に棘刺すことばかり」という歌詞が心に残っている。余談だが、ぼくはこのグループの「アフリカの雪」という曲を気に入っていた。 「人間は飛べるのだ」という楽曲もいい。青春には二つの意味がある。一つはモラトリアムということだ。自分の一生を託す仕事を探す時間だ。迷い、苦悩する時間である。もう一つは人生の伴侶となる異性を見つける時間だ。これも悩ましい。恋愛こそ、「青春」の代名詞と言えるだろう。しかし、かつては仕事を一旦決めれば定年まで貫き通すということが前提にあった。結婚も一度したら死ぬまで添い遂げる。離婚はだめという社会通念があった。そのことを前提にしての一瞬青春の輝きだった。だから貴重で美しかった。しかし、時代は変わった。転職が当たり前になり、永年勤続で表彰される時代は終わった。離婚も当たり前?になった。少なくても決して恥ずかしいことではなくなった。そうなると何歳になってもモラトリアムであり、恋愛適齢期である。現代の人間にとっての青春は燻りながらいつまでもだらだらと続いているのかもしれない。よく言えば、現代の人間にとっては一生が青春なのだが(笑)。花を咲かせさっさと散る植物の方が余程潔くかつての「青春」の文字にふさわしいような気がしなくもない。
道端に紫色の花が群生していた。
「何だろう?」
と近寄って見たら「ホトケノザ」だった。この名前は、葉っぱの形が仏様の座る蓮の葉に似てることからである。何処にでもよく見る草だが紫の綺麗な花を意識したのは初めてだ。
春の初めは黄色の花が多い。次に白や紫が現れる。
紫はミツバチや花アブを惹きつける色だそうだ。
あの地味なホトケノザにも一瞬の青春があるのだなぁと思った。
昔、森田公一とトップギャランの「青春時代」という歌が流行った。「青春時代の真ん中は胸に棘刺すことばかり」という歌詞が心に残っている。
余談だが、ぼくはこのグループの「アフリカの雪」という曲を気に入っていた。
「人間は飛べるのだ」という楽曲もいい。
青春には二つの意味がある。一つはモラトリアムということだ。自分の一生を託す仕事を探す時間だ。迷い、苦悩する時間である。
もう一つは人生の伴侶となる異性を見つける時間だ。これも悩ましい。恋愛こそ、「青春」の代名詞と言えるだろう。
しかし、かつては仕事を一旦決めれば定年まで貫き通すということが前提にあった。
結婚も一度したら死ぬまで添い遂げる。離婚はだめという社会通念があった。
そのことを前提にしての一瞬青春の輝きだった。だから貴重で美しかった。
しかし、時代は変わった。転職が当たり前になり、永年勤続で表彰される時代は終わった。
離婚も当たり前?になった。少なくても決して恥ずかしいことではなくなった。
そうなると何歳になってもモラトリアムであり、恋愛適齢期である。現代の人間にとっての青春は燻りながらいつまでもだらだらと続いているのかもしれない。よく言えば、現代の人間にとっては一生が青春なのだが(笑)。
花を咲かせさっさと散る植物の方が余程潔くかつての「青春」の文字にふさわしいような気がしなくもない。