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五月寒もーちゃん印のパルが行く

小山正見

暑くなったり、寒くなったり。今日はオーバーを着込んでしまった。
パルシステムの配達車はよく見かける。テレビでもコマーシャルをしている。
「だってパルなんだもの」が決め台詞だ。
パルシステムは、最も成功した生活協同組合の一つだと思う。首都圏を中心に170万世帯が利用しているという。
今は認知症を患っている妻は、そのパルシステムに関わってきた。最後には、商品部長を務め、パルの雑誌「のんびる」の初代編集長だったのだから大したものだ。ぼくより十倍仕事ができたのは確かだ。
パルは、弱小の生協が生協が合併を進め、首都圏コープ連合に発展したものだ。
妻も最初は辰巳生協の組合員理事になったことからパルと関わりをもつようになった。
パルの躍進は当時妻から聞いた話から推測すると次のような点にあると思う。
①共同配達を個別配達に変えた。
生協の理念として「共同配達」は根幹を占めるものだった。そのことによって「助け合い」が実現できると考えられたからだ。それを現実の社会の変化に即応して、「個別配達」に変えてしまった。世の中は理念では動かない。
②一早いカタログのカラー化と三媒体のカタログ発行
最初は、表紙だけのカラー化だった。費用をどうやって捻出するのか、苦労したらしい。
商品写真のデジタル化を進めるなどの苦労もあったようだ。
そのうち、カラーが当たり前になった。もう一つは、対象世帯向けのカタログを三種類発行するという戦略だった。ファミリー向けや少人数世帯向けなど。現場からすれば無謀とも思えるものだったと思う。裏での金繰などどうだったのか。
これらの全てに絡んでいた妻の帰りは当然遅くなった。「今日の夕飯は各自」ということが多くなったし、「かぼちゃになる前に帰ってこいよ」ということもあった。
しかし、この戦略は当たった。組合員の数が猛烈な勢いで増え、パルは急成長を遂げた。
③徹底的に産直にこだわる姿勢
妻は、しょっちゅう産地に出かけていた。北海道から九州まで。韓国や中国にも出かけた。
組合員の急速な増加に産地が追いつけなくなったらしい。質を保ちながら供給量をどう確保するか、確かになかなか難しい問題である。
「少しでも安いものを」が主流の中で少し値段が高くても質の良いものにこだわる姿勢が逆に消費者のニーズにあったのかもしれない。
経営のすべての面でおそらく大胆な改革が行われたのだろう。
パルの話は我が家の食卓の話題の中心であった。妻は、いろいなトラブルのことを語る時も楽しそうだった。
三十代の後半から四十代にかけてのことである。いつもうじゅうじゅしている私に
「私は考えても仕方ないことは考えないの」
よっぽど見かねたのだろう。ぼくは、妻のこの言葉に助けられて、前向きに物事を考えるようになっていった。
句集『大花野』を発行した時、「切ないけれど、何か幸せ」との評をいただいた。そう言えば、妻が認知症になって「どうしてこんなことになったのか」と嘆いたことは一度もない。
「考えても仕方ないことは考えない」
ぼくの考え方は、ようやく妻の考え方に近づいていると思った。句集『大花野』は妻がぼくに作らせた句集である。
多くの人に読んでいただきたい。
まだ、お持ちでない方はぜひ。と願っている。
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