俳句フォトエッセイ2024.12.24レジェンドのプリンで乾杯クリスマス小山正見こんな素敵なパーティができるとは夢にも思っていなかった。きっかけは、感泣亭の定例会「あなたを語る会」で齋藤さんのお話を伺ったことからだった。齋藤さんは、実は日吉の伝説のバームクーヘンの名店「リンデンバウム」の創業者である。「何かやってくれませんか」という話になった。「プリンならオーブンがあればできるかなぁ」そうして実現したのが、プリンを楽しむ会 感泣亭クリスマス である。乾杯をする時、斎藤さんがさりげなく私と妻の写真をテーブルの真ん中に置いてくれて、ぼくは涙が出た。感泣亭という名前は、詩人・小山正孝の書斎の名だが、コミュニティスペースとしての感泣亭を構想し、始めたのはぼくの妻邦子である。支えてくれるボランティアのお陰で毎月一回のお食事会を続けることができた。特に人暮らしのお年寄りには大人気だった。しかし、妻の認知症が進みコロナ感染症の拡大で、閉鎖を余儀なくされた。2022年3月に僕は江東区の仕事をやめた。丁度その頃、ぼくはある偶然から土井伸さんと再会した。強い味方を得て、感泣亭の活動を再開することがてきた。最初は「豆ちゃんの伝説のお赤飯」である。この経験を経て、次の年の2月からは、感泣亭の全ての活動の軸となる「サロンde感泣亭」が毎月一回開かれるようになった。サロンde感泣亭は基本的におしゃべりの場であるが、ハーブやカービングなどを体験することもできる。同時進行で俳句フォトの取り組みも進行した。読書会や「あなたを語る会」、大山ゲーム個展、気功呼吸法教室、詩の教室など定例的な企画が相次いで感泣亭で行なわれるようになった。今、様々な人が様々な形で感泣亭に出入りしている。感泣亭を心落ち着く居場所と思ってくれる人も多くなってきた。本当にありがたいことである。これこそ妻邦子の願いでもあった。そして、「感泣亭クリスマス」だ。プリンでの乾杯は、正に今年を締めくくるにふさわしかった。感泣亭を支えて下さっている皆様に心からの御礼を申し述べたい。
こんな素敵なパーティができるとは夢にも思っていなかった。きっかけは、感泣亭の定例会「あなたを語る会」で齋藤さんのお話を伺ったことからだった。
齋藤さんは、実は日吉の伝説のバームクーヘンの名店「リンデンバウム」の創業者である。
「何かやってくれませんか」
という話になった。
「プリンならオーブンがあればできるかなぁ」
そうして実現したのが、プリンを楽しむ会 感泣亭クリスマス である。
乾杯をする時、斎藤さんがさりげなく私と妻の写真をテーブルの真ん中に置いてくれて、ぼくは涙が出た。
感泣亭という名前は、詩人・小山正孝の書斎の名だが、コミュニティスペースとしての感泣亭を構想し、始めたのはぼくの妻邦子である。
支えてくれるボランティアのお陰で毎月一回のお食事会を続けることができた。
特に人暮らしのお年寄りには大人気だった。
しかし、妻の認知症が進みコロナ感染症の拡大で、閉鎖を余儀なくされた。
2022年3月に僕は江東区の仕事をやめた。
丁度その頃、ぼくはある偶然から土井伸さんと再会した。強い味方を得て、感泣亭の活動を再開することがてきた。
最初は「豆ちゃんの伝説のお赤飯」である。この経験を経て、次の年の2月からは、感泣亭の全ての活動の軸となる「サロンde感泣亭」が毎月一回開かれるようになった。サロンde感泣亭は基本的におしゃべりの場であるが、ハーブやカービングなどを体験することもできる。
同時進行で俳句フォトの取り組みも進行した。読書会や「あなたを語る会」、大山ゲーム個展、気功呼吸法教室、詩の教室など定例的な企画が相次いで感泣亭で行なわれるようになった。
今、様々な人が様々な形で感泣亭に出入りしている。感泣亭を心落ち着く居場所と思ってくれる人も多くなってきた。本当にありがたいことである。
これこそ妻邦子の願いでもあった。
そして、「感泣亭クリスマス」だ。プリンでの乾杯は、正に今年を締めくくるにふさわしかった。
感泣亭を支えて下さっている皆様に心からの御礼を申し述べたい。