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スーパーの苺の隣西瓜かな

小山正見

びっくりした。もう西瓜だ。西瓜は秋の季語である。西瓜が秋の季語とは、俳句を始める前は知らなかった。普通に夏と思っていた。
「西瓜が秋」という理由はよく分からないが、かつては西瓜の本格的な収穫時期が立秋以降だったのだろう。
西瓜が本格的に出てくる前に小玉西瓜が市場に出ていたという記憶もあるが、今ではもう流行らないのだろうか。突然の本格的な西瓜の出現だ。
ぼくは、こどもの頃は西瓜が好き過ぎて「スイカ坊や」と言われていた。今は、西瓜を切って売るのが普通になっているが、当時は丸ごと買うのが当たり前だった。西瓜にスカがないかどうか、叩いて音で確かめた。切らないと中がどうなっているかわからない。相当な確率でスカがあった記憶がある。そういう意味では、切り身で買えば外れがない。
買ってきた西瓜は、大概は水を張ったバケツの中で冷やした。時には冷蔵庫に入れて冷やしたこともあった。中のものを全部出して丸いままの西瓜を入れるのだ。
電気の冷蔵庫がまだ無かった時代である。毎日氷屋さんが、四角く切った氷を配達してくれた。氷の溶けた水が冷蔵庫の下の受け皿に溜まる。その水を捨てるのが僕の仕事だった。今考えれば、相当な出費だったはずだ。
西瓜を切ってもらうのが待ち遠しかった。西瓜には、必ず塩をかけて食べたのは、今ほどには甘くなかったからだろう。
父も母も若く、祖父も祖母も生き生きとしていた頃の思い出だ。