俳句フォトエッセイ2024.11.05サボテンに無数の棘や秋映ゆる小山正見朝早く目が覚めてしまったので、ゴミを出しに行った。ついでに少し散歩した。急に寒くなったが、朝日が美しい。目にとまったのが写真のサボテンである。ぼくは、基本的には夜型の人間だ。振り返ってみると、二十代は寝る時刻は平均して午前2時から3時の間だった。三十代は午前I時から2時の間。四十代以降は、午前0時から1時の間になった。仕事があるから、起きるのは一定して6時から7時の間なので段々睡眠時間が増えてきたと言えよう。四十代では、不規則で土曜日に寝溜めをするものだから日曜日は毎週頭痛に悩まされてきた。今はそこそこに用事はあるが、悠々自適の生活なので睡眠時間は長い。平均して7時間半は寝ている。しかし、朝型にはなかなかならない。時に、生活習慣を変えようとしたことはある。夜9時には寝て、朝4時か5時に起きる。そうするとI、2時間の勉強時間が確保できる。朝は静かだし、テレビなどの誘惑もない。しかし、続かなかった。結局寝てしまって起きないのだ。習慣を変えるのは難しい。夜明けのコーヒーを飲む生活は夢のまた夢だ。さて、サボテンである。これだけの大きさまで育てるのには長い年月がかかる。それにしてもサボテンのキラキラと輝く棘の美しさ。一瞬見惚れてしまった。ぼくも子どもの頃、サボテンに夢中になったことがあった。小さなサボテンを何鉢も育てた。どういうわけか通販のカタログで注文した。封筒に入って小さなサボテンが送られてきたことが記憶にある。多肉植物も育てたことがあるが、棘のあるサボテンの方が魅力的だった。サボテンの和名は「仙人掌」というそうだ。16世紀後半から17世紀にかけてポルトガルによって日本にもたらされた。団扇サボテンの切り口で体を拭いたりしたので、「シャボン(石鹸)」のようなものというわけで「石鹸体」(シャボンテイ)と呼ばれるようになったという。なぜサボテンだってのか?おそらく、ぼくがそれまで飼っていた鳩や小鳥を皆死なせてしまったので、死ななくて、放ったらかしても世話が楽なサボテンに切り替えたのかもしれない。それしか考えつかない。
朝早く目が覚めてしまったので、ゴミを出しに行った。ついでに少し散歩した。急に寒くなったが、朝日が美しい。目にとまったのが写真のサボテンである。
ぼくは、基本的には夜型の人間だ。振り返ってみると、二十代は寝る時刻は平均して午前2時から3時の間だった。三十代は午前I時から2時の間。四十代以降は、午前0時から1時の間になった。
仕事があるから、起きるのは一定して6時から7時の間なので段々睡眠時間が増えてきたと言えよう。四十代では、不規則で土曜日に寝溜めをするものだから日曜日は毎週頭痛に悩まされてきた。
今はそこそこに用事はあるが、悠々自適の生活なので睡眠時間は長い。平均して7時間半は寝ている。
しかし、朝型にはなかなかならない。
時に、生活習慣を変えようとしたことはある。夜9時には寝て、朝4時か5時に起きる。そうするとI、2時間の勉強時間が確保できる。朝は静かだし、テレビなどの誘惑もない。
しかし、続かなかった。結局寝てしまって起きないのだ。
習慣を変えるのは難しい。夜明けのコーヒーを飲む生活は夢のまた夢だ。
さて、サボテンである。これだけの大きさまで育てるのには長い年月がかかる。それにしてもサボテンのキラキラと輝く棘の美しさ。一瞬見惚れてしまった。
ぼくも子どもの頃、サボテンに夢中になったことがあった。小さなサボテンを何鉢も育てた。どういうわけか通販のカタログで注文した。封筒に入って小さなサボテンが送られてきたことが記憶にある。多肉植物も育てたことがあるが、棘のあるサボテンの方が魅力的だった。
サボテンの和名は「仙人掌」というそうだ。16世紀後半から17世紀にかけてポルトガルによって日本にもたらされた。団扇サボテンの切り口で体を拭いたりしたので、「シャボン(石鹸)」のようなものというわけで「石鹸体」(シャボンテイ)と呼ばれるようになったという。
なぜサボテンだってのか?
おそらく、ぼくがそれまで飼っていた鳩や小鳥を皆死なせてしまったので、死ななくて、放ったらかしても世話が楽なサボテンに切り替えたのかもしれない。
それしか考えつかない。