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コーヒーと眼鏡パソコン夏の空

小山正見

パソコンを持ち込んで、コメダでモーニングを食べる。9枚綴りの券を買うと、一回が460円ほど。値段はドトールのモーニングと変わらない。しかもWi-Fiも電源もある。一人席だとゆったりして仕事に打ち込める。
最近は、パソコンの代わりにタブレットやスマホだけで過ごすことも多い。
それにしてもパソコンの進化は凄まじい。
ぼくが最初にパソコンに出会ったのは、二十代の後半、足立区の江北小学校に勤務していた時だった。加賀谷稔という先生が職員室に持ち込んできたのがNECのPC-6001という代物だった。勿論ブラウン管だ。フロッピーディスクすらなくて、カセットテープのデータを5分かけて読み込むとようやく立ち上がる。半角の英数字とカタカナだけしか表示できない。物珍しかった。画面の上からゆっくりと落ちてくる虫(@)を退治するゲームが面白くて、夏休み中はまった。
加賀谷稔先生は、当時40代だったと思う。子どもだけで運営する運動会を企画したり、全校で凧だけを飾り、飛ばす展覧会もした。アイデアが後から後から湧き出てくるような先生だった。ぼくがこの先生から得たものは大きい。残念ながら十数年前に亡くなられた。
次にパソコンに出会ったのは30代の半ばだ。PC-98XXの時代になっていた。
ワープロ専用機が出始めた頃だ。東芝のルポが100万円を切ったのが話題になった。オアシスライトという富士通のラップトップワープロが20万円という破格の値段で売り出されたが、液晶画面に映し出された文字はたった8文字だった。
ぼくは、リコーのワープロ専用機を60万円出して買った。軽自動車が一台買える値段だった。こんな高いものを無駄にしてはならないと一所懸命ブラインドタッチを練習した。
このワープロ専用機をパソコンに乗り換えた時、ワープロソフトは花盛りだった。MS-DOS3.3の時代である。
「松」とか「VJE-Pen」など色々あった。その中で生き残ったのは「一太郎」だけだった。copy freeだったからだ。同じようにネットスケープは、インターネットエクスプローラに取って代わられた。「ただ」だったからだ。
教訓は世界を制するためには、気前がいいように見えなければいけないということだろう(笑)