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ぽつねんと烏のとまり春を待つ

小山正見

何処かで見たようなフレーズだと思ったら(笑)
芭蕉の
「枯れ枝に烏のとまりけり秋の暮」
にそっくりだ。俳句の世界もどの世界も早い者勝ちである。芭蕉にこの名句がある以上、枝に烏の句は二番煎じを免れない。
先日、神保町で渡邊尚代先生の「ひさよの絵本講座」があった。欧米文学が専門のひさよ先生が「芭蕉と奥の細道」を語るというので、興味があった。24ページにわたる詳細な資料が用意され、各ページにひさよ先生の詳細な書き込みがされている。
ひさよ先生は深川の芭蕉記念館をはじめ、芭蕉関係の史跡を歩き、自分の目で確かめられた。千住や草加、日光、那須の黒羽まで足を伸ばし、芭蕉の足跡を辿っておられる。なかなか行くのが困難な裏見の滝にまで行かれ、ご自分の肌で感じたものを資料と突き合わせながらお話を進められた。
新しいものに挑戦する勇気と行動力、肌で受け取る感性の凄さを感じるお話だった。
前日の夜まで推敲を重ねたられた資料からは、芭蕉と奥の細道への先生の思いが溢れて伝わってきた。良いお話を聞かせていただき心から感謝である。
ぼくの勤務した江東区立八名川小学校は芭蕉記念館のすぐ近くにある。ぼくが俳句にハマるようになったのは、芭蕉と芭蕉記念館のおかげだ。
芭蕉は、今や世界の偉人である。俳句は世界で最も知られる日本の文化の一つである。
シェイクスピアがイギリス文学の象徴であるとすれば、芭蕉は疑いなく、日本を代表する文化の象徴と言っても良いだろう。
芭蕉が深川に隠棲したのは、1680年。芭蕉が37歳の時である。そして亡くなったのは、51歳。芭蕉開眼の句と呼ばれる「古池や蛙飛び込む水の音」が詠まれたのは芭蕉43歳の歳。奥の細道の旅は46歳の時であり、「奥の細道」の清書本が完成したのは、亡くなる年である。
わずか14年の間に芭蕉は世界の芭蕉に羽ばたくものを作り上げた。
やはり、偉人は偉人だ。

※肉眼で見た時は、この鳥、烏に見えたが写真でよくみるとどうやら鵯のようである。