【大好評】「咲満ちて小山正見の俳句フォト カルタ」販売中!

したたかに道を打ちたる春の雨

小山正見

昨日は、寒い雨になった。この時期の寒さを何と表現すればいいのだろう。「花冷」の「花」はもう散ってしまっているし・・・「リラ冷」は今頃だろうが、近所に「リラ」はない。
使うとすれば「木の芽冷」?「若葉寒」でもよいが、これは一応夏の季語になっている。
「春雨じゃ濡れてまいろう」
は、月形半平太の台詞である。舞台は京都の三条河原だ。本当に京都では、霧のようなこぬか雨が降るのだという。「春雨」とはこんな雨のことだ。俳句の歳時記がもとにしているのは京都の気候である。
『日本の猫は副詞で鳴く、イギリスの猫は動詞で鳴く』(飯島英一著 朱鳥社刊)によれば、日本の言葉には情緒が貼り付いていると言う。確かに、「秋の空」と言えば、澄み渡っているが、何となく寂しさもある。春雨も然りであろう。
しかし、昨日の雨は「春雨」とは言えないだろう。「濡れていこう」という気にはとてもなれない。外に出て歩く気さえ全く起こらなかった。
今年の夏も暑いらしい。異常気象だという。確かに人類の文明による地球温暖化の影響は大きい。しかし、もっと長い目で見れば、人類が地球上で爆発的に増えたこの数万年の気候の方が異常に穏やかだったということもできる。
例えば、ヒマラヤ山脈は大陸同士が衝突してできた山なのだ。海の底がひっくり返って山の頂上になっている例など数えきれない。地球全体が凍結して氷の玉になったことさえあったらしい。
それを考えれば、この程度の気候変化を異常気象と呼んでいいのか。
逆に考えれば、人類の文明と生存は、少しの気候変動にも耐えられないほど繊細なのかもれしない。