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島の秋曽根新五郎に逢ひに行く

小山正見

曽根新五郎氏(以下、敬称略)は、日本で一番上手い俳句の作り手である、と僕は思う。
彼のすごさは、心に届く俳句を詠み続けていることだ。全国のあらゆる俳句大会に応募し、入賞し続けている。表彰者名簿に曽根新五郎の名前がない俳句大会はない程だ。
普通「俳人」と呼ばれるようになるとこうした大会に応募しなくなる人が多い。理由の一つは、「落選」するとみっともないからだ。出し続け、入選し続けることは容易でない。多くの「俳人」が監督やコーチになってしまっているのに対して、曽根新五郎は生涯現役を貫いていると言えるかもしれない。
2012年、日本学校俳句研究会が発足し、第一回目の夏合宿を伊豆七島の式根島で行なった。
その時の講師が曽根新五郎だった。季語の本意を熱く説く彼に大いに触発された。俳句の作り方というものを教わった。
干支が一回りした今年まで、日本学校俳句研究会はとにもかくにも生き続け、発展してきた。
そして、もう一度伊豆の島だ。若いメンバーが育ち、合宿の全てを取り仕切った。そして、講師は第1回目と同じ曽根新五郎である。僕には、感慨深いものがあった。
曽根新五郎は、竹芝桟橋発23時のサルビア号の出航からジェット船で帰着するまでのすべてに同行し、易しく丁寧に手ほどきをしてくれた。島の植物について、一つ一つ説明し、俳句との関わりのヒントをくれた。
どのような視点から俳句を詠むべきなのか、前回にも増して熱く語ってくれた。言葉の一つ一つが俳句作りに繋がっている。これほどまでに曽根新五郎はすごいのか。僕たちは前回と同様、いや、前回の二倍も三倍も俳句というものに近づくことができた。すべて曽根新五郎のおかげだ。

船室は一等が良し星月夜  正見

句会で曽根新五郎から「人」賞をいただいた句だ。ぼくは、特二等に乗ったが、曽根新五郎は、サルビア号の一等船室をとっていた。格が違うのだ。いつかは一等船室に乗ってみたいというのが僕の願いだ。

写真は、新島小学校の校庭である。懐かしい。アイデアマラソンの樋口健夫さんと調布の飛行場から一緒に新島にわたって、T先生の学級で授業をしたのは、20年近く前である。校庭にあるモニュメントの像が懐かしかった。
曽根新五郎先生、そしてY先生やU先生をはじめ研究会の仲間に心からの感謝を捧げたい三日間だった。