俳句フォトエッセイ2024.08.05夜の秋『ゆうすげびとの歌』を読む小山正見よく見ると、この絵の下に小さく「紅子」と署名がある。深沢紅子である。昭和56年に刊行された異装版『ゆうすげびとの歌』のカバーの裏表紙に置かれたゆうすげの絵だ。深沢紅子は野の花を描く画家だ。立原との縁も深い。深川紅子野の花美術館が軽井沢にも盛岡にもある。立原道造の『萱草に寄す』は楽譜のように大きな本だが、この『ゆうすげびとの歌』はB5版ほどの大きさ。「のちのおもひに」を含む5篇の詩だけで編まれた、ただ一冊の手作りの詩集である。長いこと、人目に触れず立原家の箪笥の奥に眠っていた。いかにもひっそりした美しい詩集である。先頭の詩は以下である。はじめてのものに 立 原 道 造ささやかな地異は そのかたみに 灰を降らした この村に ひとしきり灰はかなしい追憶のやうに 音立てて樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつたその夜 月は明かつたが 私はひとと窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)部屋の隅々に 峡谷のやうに 光とよくひびく笑ひ声が溢れてゐた───人の心を知ることは……人の心とは……私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつたいかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢にその夜習つたエリーザベトの物語を織つた『ゆうすげびとの歌』は少なくても四回以上覆刻版が出されている。全て堀内氏の手によるものだ。立原の全集が何回か出され、偲ぶ会が10年に渡って行われた。これを支えたのも堀内氏だ。立原道造を偲ぶことは、同時に堀内達夫氏を讃えることでなければならないと思う。
よく見ると、この絵の下に小さく「紅子」と署名がある。深沢紅子である。
昭和56年に刊行された異装版『ゆうすげびとの歌』のカバーの裏表紙に置かれたゆうすげの絵だ。
深沢紅子は野の花を描く画家だ。立原との縁も深い。深川紅子野の花美術館が軽井沢にも盛岡にもある。
立原道造の『萱草に寄す』は楽譜のように大きな本だが、この『ゆうすげびとの歌』はB5版ほどの大きさ。「のちのおもひに」を含む5篇の詩だけで編まれた、ただ一冊の手作りの詩集である。長いこと、人目に触れず立原家の箪笥の奥に眠っていた。いかにもひっそりした美しい詩集である。
先頭の詩は以下である。
はじめてのものに
立 原 道 造
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた
その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた
───人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた
いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた
『ゆうすげびとの歌』は少なくても四回以上覆刻版が出されている。全て堀内氏の手によるものだ。立原の全集が何回か出され、偲ぶ会が10年に渡って行われた。これを支えたのも堀内氏だ。
立原道造を偲ぶことは、同時に堀内達夫氏を讃えることでなければならないと思う。