俳句フォトエッセイ2024.11.25古き町新しき町鳥渡る小山正見写真のままの句である。日吉公園から武蔵小杉方面を望んだ。福永耕二に新宿ははるかなる墓碑鳥渡るという有名な句がある。1978年のことだ。1970年代に入って新宿西口に高層ビル街が誕生した。そのビル街を「墓碑」と詠んだのだ。そこには鋭い文明批評がある。圧倒的な力を感じる。福永の句と比べるとぼくの句はいかにもへなちょこだ。比べることすらおこがましい。以下、言い訳である。福永の詠んだのは人の住まない大会社の本社ビルである。資本主義の象徴とも言える。それに対して、高層マンションは人の住む町である。神戸市は市街地に高層マンションの建築を規制した。100年後はスラムになるとの考えからだ。正に「墓碑」という考え方だ。それに高層マンションを庶民が買うのは至難だ。1億円に近い、または億を超す物件にとても手は届かない。高級国民だけの持ち物とすれば、これも「墓碑」と揶揄してもいい気持ちになる。しかし、実際には様々な人が住んでいるのだろう。共働きでヒーヒー言いながら毎月のローンを払っている人もいるに違いない。そう考えると高層マンションは「敵」と断じるにも戸惑いがある。交流し、融合を目指すのが町づくりではないかという気もする。この辺の気の迷いが断定を妨げている。この状況を提示だけして、どう考えるかは読者に委ねよう。と逃げたのが挙げ句だ。
写真のままの句である。日吉公園から武蔵小杉方面を望んだ。
福永耕二に
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る
という有名な句がある。1978年のことだ。1970年代に入って新宿西口に高層ビル街が誕生した。そのビル街を「墓碑」と詠んだのだ。そこには鋭い文明批評がある。圧倒的な力を感じる。
福永の句と比べるとぼくの句はいかにもへなちょこだ。比べることすらおこがましい。
以下、言い訳である。
福永の詠んだのは人の住まない大会社の本社ビルである。資本主義の象徴とも言える。
それに対して、高層マンションは人の住む町である。
神戸市は市街地に高層マンションの建築を規制した。100年後はスラムになるとの考えからだ。正に「墓碑」という考え方だ。
それに高層マンションを庶民が買うのは至難だ。1億円に近い、または億を超す物件にとても手は届かない。
高級国民だけの持ち物とすれば、これも「墓碑」と揶揄してもいい気持ちになる。
しかし、実際には様々な人が住んでいるのだろう。共働きでヒーヒー言いながら毎月のローンを払っている人もいるに違いない。
そう考えると高層マンションは「敵」と断じるにも戸惑いがある。
交流し、融合を目指すのが町づくりではないかという気もする。
この辺の気の迷いが断定を妨げている。
この状況を提示だけして、どう考えるかは読者に委ねよう。と逃げたのが挙げ句だ。