俳句フォトエッセイ2024.11.28冬ざれて枯山水の如くなり小山正見思い通りの写真が撮れなかったが、とある場所のビオトープらしきものである。上手く設計されてはいると思う。写真では見づらいが、小高くなった場所から水が流れ落ちる仕掛になっており、(写真からは外れているが)下に浅い池があり植物が繁茂している。現在では水か停められているので、枠組の岩だけが目立つ。水路だったところには枯葉が散っている。「枯山水ではないか」と一瞬思った。枯山水を最初に見たのは京都龍安寺の石庭である。中学だったか、高校だったかの修学旅行だった。それからは、京都に行く度に石庭を見て回った。庭に興味を持ったのは祖父が「盆景」の家元だったからかもしれない。盆景とはおぼんの中に風景を作り出すもので、「盆栽」とは若干異なる。戦前はは相当流行っていたらしく、祖父であった「小山潭水」先生還暦記念祝賀会には東京市長が出席し、数十人のお弟子さんに囲まれている写真が残っている。残念ながら、その才能はぼくには全く引き継がれなかった。戦後の高度成長の中で盆景は衰退し、ついに絶滅してしまった。今は影も形も残っていない。我が家の唯一の自慢は、上野動物園のの猿山のもとを作ったのは小山潭水だと言う伝説である。モデルは鋸山らしい。かつてのNHKの鈴木健二アナウンサーが司会したクイズ面白ゼミナールに「上野の猿山はどこの山をモデルにしたか」という問題が出され、祖父の写真が出演したことがある。しかし、公式記録に祖父の名前はないので、ぼくは半分眉唾ではないかと疑っている。しかし、いずれにしても、大自然を小さな庭の中に再現し、作り上げようと言う発想は、日本人というものをよく表していると思う。冬ざれだ岩の枠組みを見ながら、そこに水が流れ落ちる様が鮮やかに目に浮かんだ。
思い通りの写真が撮れなかったが、とある場所のビオトープらしきものである。上手く設計されてはいると思う。
写真では見づらいが、小高くなった場所から水が流れ落ちる仕掛になっており、(写真からは外れているが)下に浅い池があり植物が繁茂している。
現在では水か停められているので、枠組の岩だけが目立つ。水路だったところには枯葉が散っている。
「枯山水ではないか」と一瞬思った。
枯山水を最初に見たのは京都龍安寺の石庭である。中学だったか、高校だったかの修学旅行だった。それからは、京都に行く度に石庭を見て回った。
庭に興味を持ったのは祖父が「盆景」の家元だったからかもしれない。
盆景とはおぼんの中に風景を作り出すもので、「盆栽」とは若干異なる。戦前はは相当流行っていたらしく、祖父であった「小山潭水」先生還暦記念祝賀会には東京市長が出席し、数十人のお弟子さんに囲まれている写真が残っている。
残念ながら、その才能はぼくには全く引き継がれなかった。
戦後の高度成長の中で盆景は衰退し、ついに絶滅してしまった。今は影も形も残っていない。
我が家の唯一の自慢は、上野動物園のの猿山のもとを作ったのは小山潭水だと言う伝説である。モデルは鋸山らしい。
かつてのNHKの鈴木健二アナウンサーが司会したクイズ面白ゼミナールに「上野の猿山はどこの山をモデルにしたか」という問題が出され、祖父の写真が出演したことがある。
しかし、公式記録に祖父の名前はないので、ぼくは半分眉唾ではないかと疑っている。
しかし、いずれにしても、大自然を小さな庭の中に再現し、作り上げようと言う発想は、日本人というものをよく表していると思う。
冬ざれだ岩の枠組みを見ながら、そこに水が流れ落ちる様が鮮やかに目に浮かんだ。